(前回の講義)

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今回お話する箇所は「善悪を思わず、是非を管することなかれ」のところです。

是非、善悪というのはわれわれが価値判断するときの基本的なカテゴリーです。

世の中は、この是非、善悪を基準にして動いていますから、人間として世間で社会生活をしている限り、それを無関係に暮らすことは不可能です。

否が応でも、善悪を思い、是非を管する(関わる)しかありません。

前回触れた、「諸縁放捨 万事休息」と「不思善悪 莫管是非」の二つで、坐禅が、生活や人生とは別次元の営みだということが伺い知れます。

坐禅は生活や人生という人間的な営みの次元からいったん降りて、いのちの次元に戻るということだったのです。

手や足や口やアタマを使って、「力をいれ、心をついやして」、やっさもっさやっていることを、坐禅することで放捨し、休息し、善悪や是非といった約束事から一時的に解放された世界をここに開くということです。

それは善悪や是非を否定することではなく、むしろ是非、善悪に縛られ使われることなくそれを自由に使いこなしていく力を育てていくことになるでしょう。