(前回の講義)

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今回は「心意識にあらず、念想観にあらず」の一節について話をします。

ビデオ講読『普勧坐禅儀』にもこれと同じ文章がありましたから、ぜひそこを復習してください。

多くの人は、坐禅を心理操作の技術であるとか、ある一定の心境に到達するためにやることだと思っています。

かくいう私もその一人でした。

そういう思い込み、先入観は非常に根強くはびこっているので、それを払拭することはなかなか大変ですが、それが不徹底だと、ついつい坐禅を習禅にしてしまいますから、要注意です。


その意味で、この箇所は非常に重要性を持っています。

どんなふうな心づかいをしたらいいのか、どんな心境になったらいいのかと、言ったことではないというのが「心意識にあらず」であり、出来合いの瞑想技法を駆使して、ある体験を得ると言ったようなことではないというのが「念想観にあらず」ということです。

ですから、この箇所は坐禅に対する上記のような通念を、あっさり否定していることになります。

それは、心意識や念想観にとどまっていると、どれだけ一生懸命にやっても、あくまでも個人の自力的努力の話になってしまうからです。

それではどこまでいっても、個人的体験云々のレベルに終始することになります。

こういう心理主義的な坐禅の理解は坐禅の矮小化、偏向化に他なりませんから、われわれはそれを乗り越えて行かなければなりません。

●今回の動画配信