(前回の講義)

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今回は「此れ乃ち坐禅の要術なり。いわゆる坐禅は習禅にはあらず。唯是(ただこれ)安楽の法門なり」の部分についてお話しします。

「此れ」という言葉は「尋(よ)の常(つね)、坐処には厚く坐物を敷き・・・」から始まり、「非思量」に至る坐禅のやり方についての具体的記述全体を指します。

「よのつね」というのは不断にすることという意味で、いつも変わらずになるべきことという意味合いが込められています。

要術というのは重要な方法ということで、これもまた変わらずにいつも従わなければならないことという意味合いが込められているので、「よのつね」と響き合っていて、これまで述べてきた坐禅の具体的やり方の締めくくりの一文になっています。

習禅というのは、禅定という特定の心理状態に達する方法に習熟して煩悩を退治し克服しようとする営みを指します。

多くの場合、坐禅はそういうものとして理解されていますが、釈尊から達磨大師を経て伝わってきた正伝の仏法に基づく坐禅はそのようなものではないという区別が道元にとっては非常に重要なポイントでした。

ですから、「坐禅は習禅にあらず」というテーマは彼の著作の中に繰り返し現れてきます。

坐禅を学ぶわれわれにとっては、決して忘れてはいけない金言です。


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