永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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【「只管打坐」「自分がやっている感」が少なくなるような坐禅の工夫 3 】

「なるほど、エゴというのは『俺がやっているぞ!感』が大好きで、それを快感として喜んでいるんだな」ということがよくわかった。

そして、その感覚をよりどころにして修行していると危ない。

修行者としてはむしろそこから遠ざかっていかなければならないということを考えさせられたのである。

さて、これから残りの紙面を使って、「自分がやっている感」が少なくなるような方向での坐禅の工夫のヒントのようなものをいくつかあげておく。


1.とかく坐禅というと、何かに意識を集中させることだと考えられているが、それは必然的にからだやこころを緊張させることにつながる。

意識を狭い一部分に限定しようとするのではなく、むしろ解き放って行くほうがいい。

自分のからだ全体、皮膚全体、自分を支えている床、周りの空気や風景、見えている空間、見えていないスペースにも気づくことによって、知らないうちに緊張がほどけていくかもしれない。

坐禅は、閉めていた窓をあけて光や空気を取り入れるような、閉から開へ、暗さから明るさへと向かうものであると認識を変えてみてはどうだろう。


2.頭は立体的で(頭には後頭部があることに意識を向ける)、高いところにあり、首は長いことを思い出してみる。

首の一番上は、思っているよりもずっと高いところにあって、鼻の奥、耳の穴のあたりにある。

そして頭はさらにその上にある。

後頭部の存在は、往々にして忘れがちになるが、意識の中にきちんと含めておくことが助けになる。

われわれは自分の身体について、実情に合っていない思い込みを抱えていることが結構あって、そのせいで余計な困難を背負い込んでいる場合が多い。

首と頭が出会っている場所について、正しく把握しておくことは特に重要だ。

正しい体の地図を持っていなければ、より楽により自由に動くことは難しい。

大切なのは、首を伸ばして長くしようとしなくてもよい、ということだ。

首はもともと長いのだから、それを思い出すだけでよいのである。

首本来の長さを思い出すことで、首を固めたり縮めることが少なくなったり、たとえ固めたり縮めたりしても、本来の長さにもどりやすくなる。

坐禅の時、顎を引くようにという指導がなされることが多いが、意識で直接に顎を引いてしまうと、それでは引きすぎになってしまう。

その結果、首やのどが圧迫されたり、首や肩に余計な緊張が生じてしまう。

「首が長いまま、その上で後頭部が上に向かっていくと思ってください」という言い方にしてはどうだろうか。

そうすると、顔が自然に下を少し向くように動き、結果的に顎が適度なだけ引かれることになる。

このように、直接的に結果を出そうとするのではなく、そのような結果が自然に間接的に起こるような方向性や、手順を適切に指示することができれば、「やっている感」を減らし「なんとなくそうなってしまった感」を増やすことができるのではないだろうか。


3.坐禅の姿勢の特徴は、普段は盛んに動かし、使っている手、足、腕、脚、頭、頸が坐相の中に静かに収められ、胴体が坐蒲の上にのびのびと安置されているという点にある。

いわば、坐禅の主役はいのちを維持している五臓六腑という内臓系が収められている体幹、胴体なのである。

この胴体を長く広く用いて坐ることが調身の眼目であるし、そのことによって呼吸も自由に楽になるので、それ自体が調息にもなっている。

また、胴体が立体的で、筒状の奥行きのあるあり方をしていることを思い出し、重力とダンスしながら微妙にバランスを保ち続け、そこを舞台として呼吸という微細な動きが、絶え間なく起きていることにただ意識を向け、ただ観察している(ここで言う「意識を向ける」、「観察する」は良い悪いの評価をすることや、コントロールして何か望ましい結果を出そうとすることと、結びついていないことに注意)ということが調心に他ならない。

意識し観察する際には、一点だけを特に意識するのではなく、常に全体像を見失わないことが大切だ。

そして、たとえはっきりわからないとしても気にしないこと。

そこに意識を向け観察しようとしているということが最も重要なことだからだ。


4.坐禅では「背骨をまっすぐに保つこと」がとりわけ強調されることが多いが、実は背骨は棒のようにまっすぐなものではなく、33個の椎骨が緩やかに自然湾曲と言われるカーブを描きながら連なっている。

そしてかなりの太さを持っている。

背骨の後ろ側のでっぱりは、手で直接に触れることができるので、背骨をまっすぐにしようとすると背骨の後ろ側に力を入れて、そこでまっすぐさを取ろうとしてしまいがちになる。

しかし、背骨のデザインを見ればわかるように、体の重さは背骨の前側で支えるようになっている。

だから、背骨の後ろ背骨側ではなく前側で支えると「思う」ようにすると、背中側が解放されて楽になるかもしれない。

以上、わたしが坐禅会などで坐禅を指導する際にしばしば話している、やっている感を減らすヒントのようなものをいくつか述べてみた。

これがすべてではないが、読者諸賢の坐禅実修に活かしていただければ幸いである。

 

 

 

 

 

 

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋