(前回の講義)

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今回は、古来、『普勧坐禅儀』の序文と言われているパートの最後の一節についてお話しします。


身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して本来の面目(めんもく)現前せん。

恁麼(いんも)の事(じ)を得んと欲せば急(きゅう)に恁麼(いんも)の事を務めよ。


前回、お話しした一節の続きで、「廻向返照の退歩を学す」、つまり求心(今ここにないものを未来に向かって求める心)を休めて坐禅をすると、どういうことが自然に起こるかということが解かれています。

それが「身心脱落」であり「本来面目現前」ということです。

「身心脱落」というのは身心からこだわり、力み、束縛といったものが坐禅をすることで必然的に脱け落ちて、自由で軽安な状態になるということです。

これは、実際の体感を伴った言葉で、道元禅において重要な言葉の一つです。

本来の面目というのは、自分本来の姿、自己の正体のことで、坐禅をしている時には「自己が自己を自己している」のですから、最も純粋な自己が具体的に目の前に展開するのです。


禅の伝統では、言葉では言い表せない事態を「あれ」とか「それ」という意味を持つ中国語の日常語の什麼(いんも)を使って指し示します。

言葉で言い表せない何かを会得しようというのなら、急に、つまり直ちに直接に、言葉では表せない何かを実際にやってみなさい、つまり是非とも坐禅をしなさいと誘って、道元さんは序文を締めくくっているわけです。


次回から「正宗文」と言って、メインのパートに入り、実際の坐禅のやり方が説かれます。