永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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八正道が内的に首尾一貫し統合された全体として働くためには、そこに正見が包括的な方向づけを与えていなければならない。

正見がすべての実践に先立って確立され、全体的な枠組みやパラダイムを提供しているのだ。

正見という慧を抜きにして、戒や定を実行すれば、仏教的に正しくないヴィジョンが戒や定を導くことになり、
その結果、悪しき徳行主義や邪(よこしま)な禅定主義をもたらしてしまうだろう。

そのような不幸な実例をわれわれはしばしば眼にしてきているのではないだろうか。

釈尊は「人は正見がなくてもスピリチュアルな成長を熱望することはありえるだろう。

しかし、それは水をかき混ぜてバターにしようとするようなものだ(それが実現する可能性はない)」と言っている。

正しい枠組みがなければ、教えを正しく理解できないし、したがって実践も正しく遂行できない。

だから、正見なしには仏道修行の道を正しく進んでいくことはできないのである。修行の道を正しく歩み続けるためには、
そこで一歩を踏み出す前のオリエンテーション、方向づけが大切であること、それはいくら強調しても強調しすぎることはない。


釈尊が城を出てから樹下の打坐までの六年間と言われている期間の間に行った修行(修定主義の瞑想と身体否定の苦行)は、
それがいかに真剣で熱心なものであったとしても、成道後の釈尊からみればそれは誤ったヴィジョンに基づいた非仏教的な修行であったのだ。

だから樹下に打坐する前にそれをきっぱりと放棄されている。

例えば二人の師について学びそれを体得したとされる瞑想については「これは一種の禅定の境地に達するだけで、
迷いを離れる法ではない、欲を離れた正しい覚りの法ではない」と知ってそれを離れたのであるし、その後、徹底的に試みた苦行については「苦行が解脱に導き苦悩をなくし清い智慧に達せしめるゆえんのものではないこと」を悟ってそれを離れたとされている。


そのような洞察を得ることによって釈尊は、そういうタイプの瞑想や苦行の背後にあったヴィジョンそのものを手放して、
それとは別のパラダイムに基づくヴィジョンに改め、その新しいヴィジョンに従って新しい修行の道を歩み始めたのだ。

だから釈尊の成道への歩みも正見という革新的ヴィジョンを得るところから始まっていると言ってもいいのである。

このあたりの問題に関しては道元禅師が『学道用心集』のなかで「仏法修行、必ず先達の真訣を稟けて、私の用心を用いざる歟。

況んや仏法は、有心を以ても得べからず、無心を以ても得べからず。

但、操行の心と道と符合せざれば、身心未だ嘗て安寧ならず。

身心、未だ安寧ならざれば、身心、安楽ならず。

身心、安楽ならざれば、道を証するに荊棘生ず。

所謂、操行と道と合せんには、如何が行履せん。

心、取捨せず、心、名利無きなり」とおっしゃっていることが参考になるだろう。


操行の心と道が符合していなければいけない、つまり道を踏み行う当人の心、ヴィジョンが仏道に合致していなければならないということだ。

さもなければ身心が落ち着くこともないし、仏道修行にイバラのようなさまざまな障害が起きてくる。

そうならないためには、取捨のない心、名利の念のない心を持たなければならないと言う。

道元禅師の言い方ではそのような心は「吾我を離れた心」である吾我というものが取捨や 名利の念を生み出す元凶になっているからである。

この吾我の心を離れることなしには仏道の修行がそもそも始まらないことを道元禅師はいたるところで強調している。

特に『正法眼蔵随聞記』において はこれが大きなテーマの一つになっている。われわれ道元門下の者はこの書を繰り返しひも解いて、
このことを心魂に沁み込ませていかなければならない。

吾我の心を離れるべきことについて道元禅師が 『正法眼蔵随聞記』の中でおっしゃっている部分をここにいくつか抜き出しておこう。

「いかに利智聡明なる人も、無道心にして吾我をも離レず、名利をも捨テ得ざル人は、道者ともならず、正理をも心得ぬなり。」
「所謂出家と云フは、先づ吾我名利をはなるべきなり。

是レをはなれずしては、行道頭燃をはらひ、精 進手足をきれども、ただ無理ノ勤苦のみにて、出離にあらざるも有り」
「学道はすべからく吾我をはなるべし。たとひ千経万論を学し得たりとも、我執をはなれずはつひに魔坑におつ。」

わたしはこうした道元禅師の訓戒を、学道を始めるにあたってはまずなによりも正見を持つことが重要であることを指摘し、
そのことを学人に向かって強調しているのだと受けとめている。

正見がなければ「たとえ頭についた火を払うように寸刻を惜しんで修行しようとも、また手足を切るほど一生懸命に精進努力しても、
それはただ筋の通らない苦労をするばかりで、迷いを離れたことにならない」のである。

これは先ほど述べた、釈尊が禅定主義の瞑想や徳行主義の苦行を放棄して、修行を導くヴィジョンそのものを改めるときに得た洞察言葉とぴたりと一致している。


このヴィジョンの入れ替えが起こったことが何よりも大事なのだ。

戒や定といった実践はその後に、この慧によって導かれる形で進められていくのである。

また、もう一つつけ加えておくなら、八正道が慧→戒→定という構成になっているというのは実は不正確なのだ。

というのは仏教は定を最終目的地にしている禅定主義ではないからだ。

正しくは、慧→戒→定→慧→戒→......と再び慧にもどっていく円環的プロセスとして理解されるべきものだ。

再び戻ってきた慧はそれ以前の慧と同じではなく、戒や定の実践を通してより深く確かな慧に成長したものになっている。

いわばグレードアップした慧なのである。

この円環的プロセスがずっと続いていくことによって慧は螺旋的にますます深まり円熟していく。

つまり、最初の正見はいわばまだ浅く幼い、信と呼ぶ方がよいような子供の未熟な正見であるが、それでも正見は正見である。

その正見にガイドされて八正道が正定まで進み、その正定に支えられて正見がアップデートしかつグレードアップされる。

そして螺旋のレベルが一段上がったところで再び八正道のプロセスが正定へと向かってゆく。

 

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋