(前回の講義)

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今回は「当に知るべし、正法自ずから現前し、昏散先ず撲落することを」のところについてお話しします。


ここは前回やった「若し、此の意を得ば、龍の水を得るが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり。」と対になって、坐禅が坐禅になっている時には、その証(あかし)としてこういうことが起きているよということを述べています。


前回のところはわれわれが本来のあり方、本当の落ち着きどころに帰って生き生きと本来の生命力が発揮されている様子(「帰家穏坐」)を、海に戻って水を得た龍や山に帰った虎という比喩で示していましたが、今回の文は、龍の喩えを「正法自ずから現前」と、虎の喩えを「昏散先ず撲落する」と説明しています。


自家の宝蔵である正法が今行じている坐禅に自ずから(意志的、意図的な頑張りの結果ではなく)現れ、その時には、煩悩の総称として用いられている昏散は(それを相手取ってやっつけたり抑圧したりしないでも)生じてこないということが言われています。


ここで気をつけなくてはならないことは、坐禅してからぼちぼちと正法が現前し、それからさらにぼちぼち昏散が撲落するというような時間的前後の関係で見てはいけないことです。


明かりがついたら、それと同時に闇が消えるように、坐禅・正法現前・昏散撲落は同時に成立しているのです。



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