(前回の講義)

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今回は「既に人身の機要を得たり、虚しく光陰を度(わた)ること莫(な)かれ。仏道の要機を保任す、誰か浪(みだ)りに石火を楽しまんや」のところについてお話しします。

曹洞宗では仏・法・僧の三宝に帰依することを誓う三帰依文(さんきえもん)を唱える前にまず「人身(にんしん)受け難し、いますでに受く。

仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。

大衆(だいしゅ)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。」と言ってから、「自ら仏に帰依したてまつる。・・・」と本文を唱えることになっています。

人間としての身を受けて、この世に生まれることは非常に「有り難い」ことだという受けとめ方をするのが仏教の伝統です。

いろいろな苦しみが満ちている人間界ではありますが、それゆえに、人間としての向上、発達、完成の為には最も好都合だとされています。

「機要」の「機」は機械のネジのことで一番大事なところのこと、「要」も腰のことで一番大事なところのことです。

「要機」も同じで、どちらも一番大事なところのことを指します。

既に人間という坐禅修行に必要な能力をすべて与えられている身をもってこの世に生まれてきたのだから、そのせっかくのチャンスを無駄にするような、無益な時間の過ごし方をしてはいけないということです。

光陰というのは太陽と月のことでそれで時間を表しているわけです。

道元は『永平広録』の中で「大衆、既に受け難き人身を受け、会い難き仏法に会えり。すべからく頭燃を救って弁道すべし」と修行僧たちを励ましています。

仏道の最も大事なネジは坐禅ですが、その坐禅に幸いにも出会い、この『普勧坐禅儀』によって正しい修行法を手に入れて実践できるようになった、というのが「保任(完全なものを用いる)」ということです。

火打ち石から出る光は極めて瞬間的なので、ここでは世間の名利のはかなさの喩えに使われているのです。

そういったはかないものに心を奪われず、仏道の正門である坐禅に励みなさいと勧めている一文です。



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