永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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坐禅修行者ならば誰でも五蓋に取り組まなければならない時節が、遅かれ早かれ必ずやって来るものだ。

歴史上坐禅を最初に行じた人物である(とわたしが考えている)釈尊でさえそうだった。

樹下に打坐する以前の釈尊にはマーラは現れていない(もしかしたら、目の前には現れないにしても、釈尊のあとを追いかけつきまとっていたかもしれないが)。城を出た後、師について修定主義の瞑想をしているときにも、また伝統に従って苦行主義の苦行をしているときにもマーラ(五蓋の神話的表現)が釈尊の修行の邪魔をしたという記述はない。

しかしそれらを放棄して、釈尊が樹下に打坐したとき、つまり坐禅をした時に初めて、マーラが現れてさまざまな手段を弄してそれを妨害しようとしたのである。

これを深読みすれば、釈尊が坐禅以外のことをしているときはマーラの側にはそのことについて別に何の心配することもないので、やりたいように放っておけたのだが、こと坐禅に関してはかれにそれをちゃんとやられると困ったことになるのでその邪魔をしに出てこざるを得なかったということになる。

道元禅師は「坐禅は三界の法にあらず、仏祖の法なり」と言っているが、人間がマーラの支配が及ぶ三界の法に属する瞑想や苦行をしている間はそれをどれほど一生懸命にやろうとマーラは現れないが、仏祖の法に属する坐禅が実現しそうになるとマーラの支配力が及ばなくなるところに行かれてしまうので、それをなんとしても妨害しようとして現れるのだと考えることができるのではないだろうか。

坐禅だからこそ、マーラ、つまり五蓋が現れるのである。

だから、五蓋という身心の状態は不幸な出来事でも修行の失敗の証拠でもなく、むしろ坐禅が坐禅になりつつある良い兆候だと言っては言い過ぎだろうか。

そこからさらに言うならば、五蓋を跳躍台として活かすことができれば、それは坐禅を一層深めていくためのまたとない好機にもなり得るのである。

 坐禅修行の道は五蓋を恐れ、恥じて、それを避けて進んでいくのではなく、むしろ五蓋の中をくぐり抜けていくのである。

言い換えれば、五蓋と積極的に賢明な仕方で取り組むことを避けていると、知らないうちに修行の道から外れてしまうことになるということだ。

五蓋の中で最後に挙げられている疑蓋に関しては特にそのことが当てはまるように思われる。

前の四つの蓋はすでに坐禅修行をしている上での問題であったが、この疑蓋は修行そのものに対する疑いに関わることだからである。

疑蓋に取り込まれてしまうと、坐禅修行そのものが断絶してしまう結果になりかねない。

その意味では五蓋の中でももっとも重要な意味を持つ蓋だと言えるかもしれない。

「疑蓋」という言葉の中で使われている「疑」という漢字であるが、修行上有用な「疑い」もあるので、疑蓋はそれとは区別されなければならない。

有用な疑いというのは、仏道の探究や参究、修行を進めていく上での一側面としての「疑い」、「疑問」である。

それは教えとして聞いたことをそのまま盲目的に信じたり、鵜呑みにしたりしないで自分の体験を通して注意深く吟味することを動機づける力になっている。

禅では「大疑」とか「大疑団」と呼ばれて、修行に必須のものとして重要視されている。

特に公案工夫を修行の要としている臨済宗では「大信根・大 疑団・大勇猛心」の三つが参禅弁道してゆく上において欠かせない修行の要諦とされており、「疑わざるこれ病なり」とか「大疑無くして大悟無し」と言われて、疑って疑って疑い抜いて疑いの塊(疑団)になることが強く奨励されている。 

この「大疑」の意味での「疑い」に関してわたしは、江戸時代の禅僧である盤珪禅師(一六一九~一 六九〇)のことを思い出す(『盤珪禅師語録』岩波文庫参照)。

盤珪は十二歳の時、中国の経書の一つである『大学』の冒頭の一節に「大学の道は明徳(めいとく)を明らかにするに在り」と書かれているのを見て、その「明徳」とは何かという大いなる疑問を抱いた。

「明徳」とは「本性の善であること」とか「天の理である」などという塾の師匠の言葉の上だけの解説だけでは得心することができなかったのである。

そこでその解決に苦悩し、全生命をこの「明徳」の会得のために投入し始める。

後年の盤珪は、「この明徳が済みませいで、疑わしくござって、久しくこの明徳を疑いまして」と述懐している。

「明らかな徳」であるというなら、何故に重ねて明らかにする必要があるのだろうか?天に賦与された「虚霊不昧」(空にして万事に応じ、霊妙で明らか)であるものが「明徳」だと書かれているが、さてわが身のどこにその様な霊妙な明徳があるというのだろうか?...このような大きな疑問を解決すべく十四、五年にわたる苦節を経て、ある朝、外に出て顔を洗っていたとき、梅の馥郁たる香りが鼻をうった途端に、「明徳」に関するこれまでの疑情が突如として雲散霧消するという出来事が起きる。

それはまるで桶の底が抜けたようであったという。

(つづく)

 

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋