永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

----------------------------------------------------------

その後、アメリカや日本でいろいろなティーチャーからかれこれ十回あまりのレッスンを受けた自分の経験に照らしてみて(もちろんこの程度ではただ単に「かじった」と言えるくらいであるにしても)、 アレクサンダー・テクニークの基本原則を坐禅の実践にうまく翻訳することができれば、坐禅という「安楽の法門」を開けて、その奥へと入っていくための大きな助けになるという確信を持つようになった。

もちろん、ティーチャーの導きに支えられながら微妙な感覚と気づきに基づいて進められるアレクサンダー・テクニークのレッスンを、このような文字によって再現し、実感できるように伝えるということは始めから不可能である。

幸いなことに日本でもようやくアレクサンダー・テクニークが知られてきて、資格をもったティーチャーが増えてきているから、興味を持たれた方はぜひティーチャーを探して実際のレッスンを受けてみるようお勧めする。

必ずや坐禅を行ずる上で有益な気づきが得られるはずだ。 


今回の論考では、アレクサンダー・テクニークの観点から見て、坐禅のやり方についてどういうことが示唆され得るかということを、つい最近受けたレッスンでの学びを中心に論じてみたい。

アレクサンダー・テクニークというのは、オーストラリア出身のF(フレデリック)・M(マサイアス)・アレクサンダー(一八六九〜一九五五)が編み出した、「自己(セルフ)」の上手な使い方に関する理論と技法のことである。

かれは若いころシェイクスピアの朗唱家として活躍していたのだが、公演の最中に声がかすれたり、出なくなるようになってしまった。医者にかかるのをやめてしまったかれは、自分がいかにして自分の体を使っているかを詳細に検討し始めた。

細部におよぶ観察が十年近く続いたころ、自分を妨害しているからだのある特徴に気づく。

それは、自分がからだを動かそうとするといつも決まって首の後ろをこわばらせ、頭を後ろにそらせながら顎を突き上げるようにするということだった。

これは習慣化してしまった、無意識の筋肉の動きのパターンで、そのため声を出そうとするやいなや知らないうちに頭を後ろに引き下げ、喉頭を押しつぶし、声帯に圧迫を加えていたのだ。


かれはさらに、頭と首を後ろに押すことに連動して、からだ全体がくずれていること(胴体を縮ませて短くし、足を緊張させる...)、そして皮肉なことにそれをやめようと単純に力まかせの努力すればするほど、この傾向が強まることも発見したのである(「努力することは、自分がすでに知っていることを強化することでしかない」アレクサンダー)。

このようなやっかいな問題群を解決しようとする取り組みの中から生まれたのがアレクサンダー・テクニークである。

われわれはよく「わたしは腰が悪くて...」と言うような言い方をする。

それはあたかも「わたし」と 「腰」とが無関係であるかのような表現だ。

わたしには問題がないのにこの悪い腰が問題を起こしている...。

しかし、アレクサンダーはこれがまったくの間違いであると主張する。

腰がわたしのトラブルの元なのではなく、統合体としての身心を誤って使っているわたしこそがトラブルの元だということだ。 


アレクサンダー・テクニークの用語で言えば、自己(self)の誤用(misuse)こそがほんとうの問題なのだ。

だから問題の解決のためには自己の誤用をやめればよいということになる(「正しくないことをやめれば、正しいことは自然に起こる」アレクサンダー)。

「自己の使い方」というのはとても面白い表現だ。

「からだ」の使い方でもなく、「こころ」の使い方でもない、からだとこころの全体をひっくるめた統合体としての自己の使い方。

自分という存在の丸ごと全体が、生活上のあらゆる状況に対して、どのように反応しているかがここで問われているのだ。

アレクサンダーによれば、すべての人間には「頭・首・背中(胴体)」のあいだに絶えず変化するダイナミッ クな関係性があり、それをどう使うかによって、その人の身心全体の使い方の良しあしが決まると言う。

つまり、自己の使い方は頭と首のバランスがとれているかどうか、さらには頭と首が背骨に及ぼす影響によって決まってくるというのがアレクサンダーの発見したことだった。

かれはこれを「プライ マリー・コントロール(primarycontrol初源的調整作用)」と呼んでいる。


プライマリーというのは 「最初の、もっとも基本的な」と言う意味である。

重要なことは、プライマリー・コントロールは努力によってあらためて獲得しなければならないよう な人工的な能力ではない、ということだ。

脊椎動物は、何かをしようという意思を持った時には、まず頭が先導し、脊椎が動き、からだ全体が動き出すという本能的な能力を自然に持っている。

たとえば、赤ちゃんは、一生懸命に筋肉を使い、その結果としていい姿勢で坐れているのではない。

逆にそのような「がんばり」がないからこそ、プライマリー・コントロールが十全に発揮されて優れた 全身調整機能が顕れているのだ。

何かをするのではなく、頭首背中の自然な働きの発現を邪魔するという間違いをやめる(プライマリー・コントロールの誤用をやめる)ことが必要なのである。

間違った動作をやめる(アンドゥーイングundoing)ことの重要性を強調するところにアレクサンダー・テクニークの特色がある。  



『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋