永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。
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【「只管打坐」坐禅の別名は「帰家穏坐」3 】
わたしが初めて坐禅をしたのは、鎌倉円覚寺居士林での冬の学生接心だった。
もう三〇年以上も前のことだ。
坐禅について何の理解もない状態で、ある人から勧められるままに参加したのだった。
接心が始まってしばらくすると坐禅の中で「やっとここへ帰ってきたか。ずいぶん待っていたぞ。これからはこの坐禅という行を日常生活の真っただ中にくさびのように打ち込んでいけ。そこからいったいどんな人生が開けてくるのか、お前の一生を材料にして、実験してみろ」という不思議な声が自分の内に聞こえてきた(ような気がした。もちろんそれは幻聴といったようなものではないので、声というのは語弊がある。むしろ「思い」「思念」といった方が適切なのだが、自分の好みでここでは「声」と言っておくことにする)。
それはきわめてかすかではあったが、無視することができない確かさと、ある力強さをもっていた。
そのときのわたしの坐禅はと言えば、とても坐禅と呼べるような立派なものではなく、睡魔、妄想、退屈、痛みとの格闘に明け暮れている、まことにお粗末なものでしかなかった。
「こんなことをやっていていったい何になると言うんだ。時間の無駄じゃないか。すぐに切り上げて家に帰ろう」というのが頭の中を占めていた思いだった。
にもかかわらず、そういう思いとはまったく別のところで、わたしのどこかが「坐禅」に触れていたのだろうか?
その接触点とおぼしきあたりから、今言ったような坐禅からの誘い、呼び声が聞こえてくるのだった。
そして、そこから不思議な安らぎ、懐かしさ、親密さのようなものが湧いてきている感じなのだ。
わたしは「いったい何が起こっているんだ!?」と正直言って、うろたえてしまった。
『維摩経』のなかに「火中の蓮(燃える火の中に蓮華の花が咲く)」という喩がある。
普通ではあり得ない稀有の出来事を指すのに使われる表現だ。
もがきにもがいてきりきり舞いしている、凡夫根性の火が燃え盛っているような、わたしの情けない坐禅の最中に、思いもかけずに聞こえてきた、坐禅からの静かな誘いの声は、まさに「火中の蓮」だった。
わたしは結局、その声に従って人生の方向を大きく 転換して学窓を去り、修行僧になったのだった。
あの不思議な誘いの声は、どこからわたしの意識に届いてきたのだろう。
その場所は、わたしの普段の意識からは見つけることができないほど無限に遠い彼方でありながら、同時に常にわたしという存在の足下にあり続けるという、無限に遠くかつ無限に近い不可思議の地点にあるとしか言いようがない。
あの時、そんなこととはつゆ知らず言われるままに坐禅したことで、わたしはそこにアクセスができて、そこからの呼び声を聞いたのだろうか。
その声は実はずっと昔からわたしに向かって「ここに帰っておいで。こここそがお前の帰り着くべき本当の家(ホーム)だよ」と呼び続けていたのかもしれない。
そういえば、聖書にも同じような呼び声が記されている。
「すべての労する者、重荷を負う者、われに来たれ、われ汝を休ません。われは柔和にして心ひくければ、我が軛(くびき)を負いてわれに学べ、さらば霊魂(たましい)に休息(やすみ)を得ん......」 (『マタイによる福音書』一一の二八・二九)
こういう経験をして坐禅の道に入ったわたしであったから、後に坐禅の異名が「帰家穏坐」であったことを知った時に、まさに我が意を得たりという感慨を持ったのはある意味当然であったのだ。
門の外にいることの〈よそよそしさ〉と家の中にいることの〈親しさ〉、坐禅をしていてその違いが実感できているだろうか。
思うに、現代の人間は本当の意味での「家(ホーム)」を失った「家なき子(ホームレス)」ではなかろうか?
それは居住するための建物のことではない。
仕事の手を止めて、荷物をおろし、周りの世界と親しく調和して、穏やかに休息することができる安楽の場、空間のことだ。
われわれはどこにいても自分が家にいるという気がせず、疎外感に苛まれながら、落ち着きなく動き回っている。
人間が本当に求めているものは何だろう?
命?
金?
それは実は今言った意味での家ではないのか。
しかし、家を求めても得られないが故に、その代用品としていろいろのものを求め続けているのではないだろうか?
しかし、そんなことで家を求める本心をごまかすことはできない。
わたしの若いころの愛読書の一つであった、パスカルの『パンセ』には「人間の不幸というものは、みなただ一つのこと、すなわち、部屋の中で静かに休んでいられないことから起こるのだ」という言葉がある。
これはゆったりとくつろぐことができる本当の「家」を見いだすことができない人間の不幸(悲惨と言った方がいいかもしれない)を見事に言い当てた洞察の言葉であるが、残念なことにそれを解決する道は示してくれていない。
天才と呼ぶにふさわしい、あのパスカルでさえもそれを発見することができなかったようだが、ありがたいことにかれよりはるか昔にインドの釈尊がすでにその道を発見してくれている。
それこそが「家に帰って穏やかに坐る」ことをストレートに学ぶ坐禅なのである。
道元禅師が坐禅を普く勧めようとしたのも、それがパスカルの言った「すべての不幸の原因」の解決に直接つながるものだということを見ぬいていたからだ。
われわれはその遺志を受け継いで、そのような坐禅を正しく、自らも行じつつ他にも伝える努力を続けて行かなくてはならない。
『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋