永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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この問題と関連して思い起こすのは、しばしば神話の中に登場する「龍(ドラゴン)」への態度における東西の相違である(ちなみに龍は炎の動物である)。

龍は人間に害をなす恐ろしい怪物として造形されている。

西洋の神話や伝説の中では、龍は最後には英雄に殺されて死んでしまうのが通例になっている。

英雄は龍の息の根を止めることができて初めて英雄として讃えられるのである。

それに対して、東洋の神話や伝説では、英雄は最初は敵であった龍の助けや支持を得ることで大きな働きをするというのが一般的な結末になっている。

たとえば、英雄の徳や勇気の証拠として与えられた龍の鱗がそれを持つ者を守護し、特別な力を付与する魔術的な働きをして英雄を助けるといったようなことがその例である。

そこでは、龍を殺すことによって英雄になるのではなく、龍の巧みな乗り手、上手な操り手となることが英雄の証なのだ(龍に乗る観音である「騎龍観音」という図像がある)。

今まで述べてきたような悪魔、炎、龍といったイメージはすべてわれわれの論題である五蓋を神話的に表現したものである。

だから、五蓋も無暗にそれを無くすことを目指すのではなく、それを通して自己を深く学び、それとの賢明な関係のあり方を育てていくのが修行の眼目であると理解しておかなければならない。

別な言い方をすれば、坐禅で大事なのは、刻々に起きてくる体験のコンテンツ自体ではなく(五蓋の有無ではなく)、それとそのつどどのように関係していくか、出会っていくか、応答していくかということの方なのである。

さて、前置きが長くなりすぎてしまった。

今回のテーマは五蓋の第四番目である「掉挙悪作蓋(じょうこおさがい)」である。前回取り上げた「惛沈睡眠蓋」がエネルギー(活力)のレベルが極端に低くなって心が重く沈んでいる状態であったのに対して、これはその逆でエネルギーが収拾のつかないほど高まって興奮状態になり心が高ぶりさわぎ動き回る状態を言う。

「掉挙」というのは高ぶり興奮し浮ついた心のことを言い、「悪作」とは後悔する心のことを言う。

この二つは本来別な心の働きであるが、五蓋の分類では一つにまとめられて掉挙悪作蓋と呼ばれている。

悪作は伝統的には「これまでに行ったこと、行わなかったことに対する嫌悪から生じる後悔」と定義されているが、過去に対する後悔だけに限定せずさらに意味を広げて、「思い煩い」というふうに理解した方が坐禅をする者にとってより親しいのではないだろうか?

想像された未来に対するさまざまな不安とか自分の自己像(自分はこうあるべきだという自分のイメージ)を脅かすような人や出来事に対してあれこれと気を揉んだりと言ったことも悪作の中に含めるのである。

そうすればこの蓋のなかに、坐禅中に起こる心の動揺や興奮、混乱をすべて含めることができるからだ。

今回の論考では掉挙悪作蓋をこのような広い意味において考えていこうと思う。

掉挙悪作蓋は実にさまざまな現れ方をする。

たとえば、身体的には人をじっとさせておかないような、エネルギーが不快感を伴ってからだのなかを流れるような感じがしたり、人を絶えずそわそわとさせたり、落ち着きなく動かせたり、立ち上がらさせたりするような抗しがたい衝動が湧いて来たり、カフェインを摂りすぎたときのようにからだが震えたり、何かの刺激ですぐにせわしなく動きだしたりする、というようなことがその実例である。

 心理的には、とりとめのない考え事にふけったり、自分ではそうしたくないにもかかわらずある事柄 にずっとしつこく考えが居ついたり、というようなことが起きたり、絶えず気が散って一つのことに集中できないような状態、つまり心がどこかに落ち着くことができず、そこかしこへとジャンプし続ける、 というような状態がその例である。

禅の世界ではこういう状態を「意馬心猿」とよんでいる。

心が乱れて制しがたいさまを、まるで馬が走り回り猿がせわしなく騒ぎ立てることにたとえているのである。

「獼猴(こ)のごとく、一を捨てて一を取り、心もっぱら定まらず。心もまた是のごとし」と経典にはある。

猿が一つの枝から他の枝へとせわしなく手を伸ばしてつかんでいくように、掉挙悪作蓋に覆われた心はせわしなく一つのことからすぐさま他のことへと気を移らせ、静まることもなく落ち着くこともない。

読者の皆さんは、自分が実際に坐禅をしている時に、上で例として挙げたような身体的、あるいは心理的な掉挙悪作蓋の働きを体験したことがあるだろうか?

わたしが挙げたのはほんの一例に過ぎないので、この他にもさまざまな現れ方があるはずだ。

そのような自分の坐禅における掉挙悪作蓋の実例を列挙してみることを通して、掉挙悪作蓋に慣れ親しんでよく見知っておいた方が良い。

 

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋