(前回の講義)

https://masenji.com/contents/c3b65c900684

今回は「加以(しかのみならず)、形質(ぎょうしつ)は草露の如く、運命は電光に似たり。倐忽(しゅくこつ)として便(すなわ)ち空じ、須臾に即ち失す」のところを読んでいきましょう。

前回は、時間を無駄に過ごしたり、よそごとに目を奪われないで、坐禅に励むようにという訓戒の言葉でした。

今回のところは「加以」、そればかりか、とさらにたたみかけるようなメッセージが述べられます。

滅多にない人身を得、会いがたき仏法に遭っていることに加えて、過ぎやすい無常の人生のことをよくよく思いなさい、というのです。「形質」というのはわれわれの肉体のことです。

その肉体のはかないことが、草の葉に宿る露にたとえられています。

道元禅師の和歌を集めた『傘松(さんしょう)道詠』には「朝日まつ、若葉の露のほどなきに、いそぎなたちそ野辺の秋風」という一首があります。「運命」というのは、ここでは運命占いと言う時の運命ではなく、運転を続けている生命、のことです。

それが、ピカッと光ってすぐに消える電光のように、あっという間に消えてしまうと言うのです。

それが、「倐忽として便ち空じ」と言うことです。

たちまちに生命の運転が終わってしまいます。

「須臾に即ち失す」も同じ意味で、われわれのいのちが一瞬にして失われてしまうという速やかさを強調しています。

「草露」と「電光」というメタファーを通して、無常観(無常感ではなく)を育てていかなくてはなりません。

それは人生をセンチメンタルにはかなむためではなく、修行への動因として燃料に転化して行くためです。



●今回の動画配信