(前回の講義)

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今回は「直指端的の道に精進し、絶学無為の人を尊貴し、仏仏の菩提に合沓(がっとう)し、祖祖の三昧を嫡嗣(てきし)せよ」について話します。

「直指端的の道」というのは、ここではもちろん坐禅のことです。

端的というのは、仏祖正伝の仏法のことでそれを直接に指し定めるのは坐禅を置いて他にはありません。

言葉で説明して、わかったとかわからないとかいうまわりくどい世界は直指端的とは言えませんね。

自分自身の身心で実際にやってみれば、直接その世界に触れることができるのが坐禅の素晴らしさです。

坐禅は実物の道なのです。

この部分では、それにくれぐれも精進しなさいよということが言われているわけです。


絶学というのは、もはや学ぶべきものが対象として自分の外にはない、ということで学問的な努力を超越したところにいる人のことを言います。

無為はわざとらしく作為的なものがなくなった状態です。

『正法眼蔵随聞記』に「坐はすなわち仏行なり。坐はすなわち不為なり。これすなわち自己の正体なり」とあります。


そういう絶学無為の人を尊貴するというのは、他人を尊敬するというようなことではなく、自分が自分で坐禅に精進することを言います。

そうやって絶学無為の人になるようにということです。

そうなれば、仏たちの覚りに重箱を重ねたように完全に重なり合う、つまり合沓するのです。

また、祖師たちの三昧の跡継ぎになることもできるのです。

われわれにとって坐禅の偉大な先輩たちである、仏祖の流れに是非とも加わるようにという、坐禅修行への勧めがここで述べられているのです。

ただ坐禅をすればそれだけでとりもなおさず、仏仏の菩提に合沓し、祖祖の三昧を嫡嗣していることになっています。

 

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