永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

----------------------------------------------------------

 『永平廣録』巻五にある「調息法語」の参究をこれまで行ってきた。

結局、道元禅師が「出息、入息、非長、非短」と一息で言い表しているように、自発的で自然な呼吸が起きるような諸条件を調えて、あとはそれに打ちまかせて息が自ずと調っていくような工夫を、正身端坐を通して行うのが道元禅師のお示しになった坐禅の調息の姿であるというところに落ち着いた。

坐禅する当人が「こういう呼吸が望ましいからそういう呼吸にしよう」と意図して呼吸を操って「息を調える」人為的な調息ではなく、今現在起きている呼吸がどういうあり方をしているかを細やかに親しく感じることによって、身体に内蔵されている自動調節メカニズムの働きを通して、「息が自ずと調う」、いわば「調息しない調息」だったのである。 

このような「自然法爾(じねんほうに)の調息」は坐禅の時だけの問題ではなく、日常的な平時の呼吸そのものがどのような質を持って行われているかという坐禅のさらに外へと広がっている、より大きな問題へと発展していかざるを得ない。

日常の呼吸が坐禅相応のものへとグレードアップしていかないと、坐禅している時の努力だけでそのようなきわめて繊細な調息を実現しようと思ってもとうてい不可能である。

これは呼吸のことだけではなく、坐禅全般に関して言えることだ。

つまり、坐禅は普段をどのように生きているかという、日常の生きざまが如実に表れる、ごまかしのきかない厳粛な場なのである。

だから、坐禅の時にやることだけで坐禅を深めていこうというのは土台無理な話で、普段生きているようにしか坐禅できないとさえ言えるのだ。

いじましい日常を生きている者のする坐禅はそのいじましさがそのまま移されたような坐禅にならざるを得ない。

特に、只管打坐の坐禅の場合はそれが顕著だ。 

ということは、調身、調息、調心は坐禅の時だけに行う限られたものではなく、坐禅以外の平常時にも同じような工夫、あるいは稽古がなされていなければいけないことになる。

日常生活の全体を挙げて、坐禅時の調身、調息、調心が行われると言うのが最も正しい言い方なのである。

坐禅が単なる瞑想技術の習熟(習禅)とはまったく異なる営みであるゆえんはここにある。

坐禅は日常の生きざまと切り離されたところで独立別個に行われるのではない。

そのようなことがもし可能なら、坐禅が日常からの逃避になってしまうが、そうは問屋が卸さない。

坐禅の根っこは日常生活の中にしっかりと張っているのだ。

日常生活それ自体が坐禅を養い育む栄養豊かな土壌になって いなければ、そこに根を張って育つ坐禅は当然痩せ細った貧弱なものになり、花も咲かなければ実もならない。

このように、坐禅は日常生活と切っても切れない有機的なつながりをもったものとして理解されなければならない。

ベトナム人禅僧ティク・ナット・ハン師がよく使う表現A is made of non- A elements(AはAではない要素群から成り立っている)を借りて言うなら、坐禅は非・坐禅的要素群、つまり坐禅以外のすべての活動が「成り合った」ものなのだ。

坐禅は「坐禅せぬ時の坐禅」に支えられている。

「仏祖の道はただ坐禅なり」、「打坐は即ち正法眼蔵涅槃妙心なり」、「仏仏祖祖正伝の正法は唯打坐なり」と坐禅を最高最尊のものとした道元禅師が同時に、坐禅以外の日常生活の送り方の重要性をあれほどにも強調している理由の一つはそこにあるのではないだろうか。

坐禅は日常生活を調えてくれるが、同時に日常生活が坐禅を調えるのである。

このことを坐禅修行者はよくよく参究してみる必要がある。 

さて、ではどのようにして平時の呼吸を坐禅相応のものへとグレードアップさせていけるだろうか?ここでその助けとなると思われる十のヒントをあげておく。

筆者が、いろいろな呼吸法の本を読んだり、呼吸法のワークショップに出たりして学んだことをまとめたものである。 

一.口で行うような特別な呼吸法を実践していたり、けがや病気でどうしても鼻で呼吸できない時以外は、鼻で呼吸することを普段から心がける。「鼻息微通」の「鼻息」に親しんでおくのである。    

二.日常の活動のただなかでなるべくしばしば自分の呼吸の動きを感じることに心がける。自分の呼吸を抑えないということを覚えておくこと。

三.お腹をリラックスさせておく。入息の時は自然に膨らみ、出息の時には元へ戻るという動きを邪魔しないこと。腹部は呼吸の土台だからである。

四.息は生きることであり運動である。呼吸する時はからだのあらゆる部分が呼吸に関与し、すみず みまで呼吸に浸されているようにする。特に、腹、背中、脊柱、胸が微妙な呼吸の動きを反映するこ とができるように柔軟であること。「鼻息微通」の「微通」に親しんでおくのである。

五.呼吸の質を向上させるには、まず出息から始める。出息は「手放し」である。無理することなく、 出息を完全に最後まで終わらせることが呼吸の質の変容の第一歩になる。

六.長く、ゆっくりとした出息は横隔膜を調和させ、「くつろぎ反応」を惹起させる。 

七.出息の後に訪れる自然な「休止」、「間」を感じる。しばらくそこで休息すること。

八.入息はそれ自身で準備が整って自ずと起こるのに任せる。

九.一日に数度で良いから、腰、肋骨 下部、背中、胸など自分のからだにある呼吸のための空間を感じてみる。その空間に注意を向け、その部分を意識化することでその空間が努力感なしに、呼吸と共に開いたり閉じたりしている様子を観察すること。 

十.自分が今、ここでいのちをもって息づいている存在であることを思い出す。自分の息、自分のいのちが神秘であり奇跡であることを頭ではなくからだで感じること。

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋