(前回の講義)

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今回は『正法眼蔵 坐禅儀』の「飲食(おんじき)を節量(せつりょう)すべし。

光陰を護惜すべし。頭燃(ずねん)をはらふがごとく坐禅をこのむべし。

黄梅山の五祖、ことなるいとなみなし。

唯務坐禅のみなり」のところをお話しします。


坐禅するときの飲食については、『普勧坐禅儀』にも「飲食節あり(食べる量に節度を持つこと)というお示しがありましたね。

坐禅をする時に、食べ過ぎたり、また逆に食べなさ過ぎたりすると、どちらの場合もそのことが坐禅の邪魔になってしまうので、食べ物には節度を保つことが必要です。

食べ物はどれくらいが適量かはその人次第、そのときの状況次第ですから、これは坐禅する本人自身が経験から学んでいく他はありません。


坐禅するための時間をわざわざ取るということは非常に奇特なことです。

坐禅をしない口実はいくらでも容易に見つけられますが、する理由というのはなかなか見つけられないものです。

ですからともすると後回しになってしまって他のことを優先しがちです。

しかし、それではせっかく人間として生まれたのに、本来の面目に遭遇することなく、忙しいだけで人生を終えることになりかねません。

「すでに人身の機要を得たり。虚しく光陰を度(わた)ること莫(なか)れ」と『普勧坐禅儀』でも言われていましたね。

あっという間に過ぎ去ってしまうのが人生なのですから、何が最も大事なことであるかを知ることが最も大事なことなのです。

ですから、「頭についた火を払い消すように、何をおいても急いで坐禅を好きになって坐りなさい」と言うのです。


そのような実例として、黄梅山の五祖弘忍(こうにん)禅師が挙げられています。

彼は、特別なことをしたのではなく、ただ唯坐禅に一生懸命努力した人でした。坐禅を中心にした修行生活を淡々と送り続けたのです。

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