永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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この革新的な一歩が具体的な形をとったのが「樹下の打坐」であった。


苦行から打坐へ、それは、それまでのような「現世からの逃避」とは真反対の「現世への落着」という方向転換、パラダイムシフトである。


現世に対して「逃げ腰」、「及び腰」になるのではなく、現世にしっかりと足をつけ、そこで 「腰を入れて」生きようという人生態度の決定(けつじょう)があのような打坐として受肉、結実したのだった。


ここで、伝統的な枠組みの中での懸命の努力がすべて行き詰った果てに釈尊が成し遂げた、苦行から打坐へのこの根本的な局面の打開の様子をもう少し具体的に検討してみよう。 




釈尊は、苦行中は断食か極端な少食という形で食べ物に対して否定的・拒否的な態度を取っていた。


しかし、仏伝によれば、樹下に打坐する前に、釈尊は村娘スジャータの供養する乳粥を受け取って食べたと言われている。


そのおかげで衰えた体力を回復できたのである。


釈尊と苦行をともに行じていた仲間たちは、それを見て「ゴータマは苦行に耐え切れず、苦行を放棄した、苦行から逃げ出した」と思って失望し、彼の元を去っていった。


実は釈尊は「耐え切れなかった」から苦行を放棄したのではなく、それが真の解決の道ではないことを見極めたからこそ苦行を手放したのである。


長年にわたって 熱心にやってきたことが無効、無益であると知ってきっぱりやめることは実は勇気の要る決断である。


しかし、現世否定の枠組みの中にいる人の眼には、それがさも堕落や退歩であるかのように映ったのも無理はない。


アッシジのフランシスコは食べ物に灰をかけて、わざわざまずい味にしてから食したと言われているし、確か鎌倉時代の明恵上人にもそのような逸話があったと記憶している。


苦行者的なメ ンタリティは洋の東西を問わないようだが、イエスや釈尊の食べ物に対する態度はそういうものではなかったのではないだろうか。


スジャータから布施された乳粥をありがたく受け入れたとき、釈尊の食べ物に対する態度は根本的に変わっていたのである。


苦行を離れることで食べ物の持つ意味がまるっきり変わった、だからこそ、俗世から供養される食べ物を、罪悪感なしに感謝して素直に受け取れたのである。


われわれが行鉢の時に唱える「粥有十利饒益安人果報無辺究竟常楽」とか「三徳六味施佛及僧法界有情普同供養」、五観の偈の中の特に「二つには己が徳行の全缼を忖って供に応ず」、「四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり」、「五つには成道の為の故に今此の食を受く」といった文言には、この時スジャータの供養を悦んで受け取った釈尊の心根が脈々と引き継がれていることを感じるのである。 




また打坐の前に、釈尊は長年の苦行によって垢だらけになっていた身体を尼連禅河で沐浴し清めている。


苦行では身体的な不快感や苦痛に耐えることが大事だとされているから、身体を清めてさっぱりとした状態になるために沐浴することはやはり苦行の堕落、失敗と見なされることだろう。


しかし、道元禅師は『正法眼蔵洗面』において「身心を澡浴して、香油をぬり、塵穢をのぞくは、第一の仏法なり」 と書き、「最後身の菩薩(成道直前の釈尊を指す)、すでにいまし道場に坐し成道せんとするとき、 まず袈裟を洗浣し、つぎに身心を澡浴す、これ三世十方の諸仏の威儀なり」と、釈尊が樹下に打坐する前に沐浴したことをその実例として挙げ、しかもそれがすべての仏の正しいあり方であるとして大きな意義をそこに見いだしている。


禅の伝統では開浴の時に「沐浴身体 当願衆生 身心無垢 内外光潔」と いう沐浴の偈を唱えることになっている。


ここにも仏教が苦行主義からはっきりと決別していることの具体的証しを見ることができるだろう。 




さらに、樹下の打坐の時、釈尊は出会った草刈り人から供養された吉祥草を大地の上に柔らかく敷いてその上に結跏趺坐されたとされている。


それは、わざわざ選んで硬い岩の上やとげのある茨の上に坐している苦行者からみれば「なんとなまぬるいことを!自分を甘やかすんじゃない!」と軽蔑されるようなことなのだろうが、苦行を手放した釈尊にとってはもはや坐そのものの意味がまったく変わってしまっているのだから、こういう批判は的外れなのである。


仏教の打坐は苦行ではなく『普勧坐禅儀』 にあるように「いわゆる坐禅は安楽の法門なり」(『正法眼蔵坐禅儀』では「坐禅は大安楽の法門なり」)なのであるから、「坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用う」のが仏教では「尋常(よのつね)」なのだ(『正法眼蔵坐禅儀』では「坐辱あつくしくべし。...かつて金剛のうへに坐し、盤石のう へに坐する蹤跡あり、かれらみな草をあつくしきて坐せしなり」)。




また、釈尊は風雨や強い日差しから守られた、大きく枝葉を張った涼しい木陰で穏やかに打坐している。


苦行のための坐なら、風や雨にさらされ、暑い日差しが照りつける露地(屋根のない地面)で坐ることだろう。


毒虫や蚊に刺される場所や、何が襲ってくるかわからないジャングルのなかであえて坐るというようなことも苦行として実行されたことであろう。


しかし、坐禅の伝統では「風煙をいらしむることなかれ、雨露をもらしむることなかれ、容身の地を護持すべし」というのが大事な原則とされている。


一見同じような坐行で あっても、その修行を意味づける枠組が違うとここまで様相が違ってくるといういい例である。


こうしてみてくると、今のわれわれが当たり前のように受け取って実践している沐浴や食事の作法、坐禅の作法が、苦行主義を払拭した釈尊からひとすじに直伝されてきたものだということがよくわかるのではないだろうか。


このことに改めて思いを致すべきだと思う。 



『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋