【坐禅講義22】第一講:菩提達磨と習禅
藤田 一照 藤田 一照
2017/08/04 07:30

【坐禅講義22】第一講:菩提達磨と習禅

六世紀初め南インドから中国にやってきた菩提達磨はたいそう風変わりな僧でした。ほかの渡来僧たちのように、新しい経典や論書を持ってきたわけでもないし、お経の翻訳をしたり仏典の講義をするといった、いわゆる「布教活動」も何一つしません。していることといえば、少林寺の一房において日がな一日、壁に向かい黙って坐っているばかりです。だから、当時の人々はこの菩提達磨のことを「壁観波羅門(壁に面って瞑想ばかりしているインド人仏教僧)」と呼んでたいそういぶかしんだといいいます。

この菩提達磨が壁に向かって、いったい何をやっていたのか、ごく少数の弟子たちをのぞいて、ほとんどの人はその真相・真意を正しく理解することができなかったようです。その証拠に、仏教については造詣が深いはずの南山道宣律師(唐代 南山律宗の開祖)でさえ、自らが編集した『続高僧伝』のなかで菩提達磨を「習禅篇」に組み入れました。つまり菩提達磨のことを、禅定と呼ばれるある特殊な心理状態に習熟する訓練をしている人たち(習禅者)の一人とみなしたのです。しかし坐禅に仏法の全てがあるとする道元禅師によれば、このような理解ははなはだしい見当違いであり、「至愚なり、かなしむべし(愚かさのきわみであり、まことにかなしむべきことだ)」と嘆いています。

道元禅師にとって、インドから来た菩提達磨が黙々と行じていた面壁坐禅は、当時の中国ですでに盛んに行じられていた禅定の修習としての坐禅とは全く別ものであり、それこそが釈尊以来正しく伝えられてきた本来の坐禅だったのです。つまり、坐禅は習禅とは全く違うものなのです。

仏法のなかの一部門を行なっているという立場の習禅と「まさにしるべし、これ(坐禅)は仏法の全道(道の全体)なり」という立場の坐禅、この二つはたとえ外見の上でかたちが似通っているように見えても、両者を混同することは坐禅修行者にとっては致命的な誤りとなってしまいます。だからこそ「坐禅は習禅にあらず」ということを道元禅師は『普勧坐禅儀』を初め『正法眼蔵』や『永平広録』のなかで何度も繰り返し強調しているのでしょう。かれの膨大な著述のほとんどは坐禅修行の正邪・真偽を弁別する基準を明確にするために書かれたものではないかとわたしは感じています。

では、習禅ではない坐禅とははたしてどのようなものなのでしょうか? 坐禅と習禅の違い、これは坐禅を実践する上でどうしても押さえておかなければならない重大な問題です。一見、同じような格好をして坐っているからといっても、「毫釐も差あれば天地はるかに隔たる(毛糸ほどの食い違いが少しでもあれば、天と地ぐらいはるかな隔たりができる)」(『普勧坐禅儀』)と言われるように、その内実には大きな違いがあります。現在、坐禅をする人たちがどれだけその問題に審細な注意を向けて参究しているでしょうか? まだまだ足りないと言わねばならない現状だと思います。

藤田一照著「現代坐禅講義」より一部抜粋


《藤田一照 一口コメント》
習禅と坐禅のパラダイムの違いというのは、単に修行の問題であるにとどまらず、もっと広く「生きる態度」の問題にまでつながる非常に射程の広い重要なテーマだと思います。

そこでいったい何が問題にされているのかをより明確にするために、僕は習禅ー坐禅という対照的なコンセプトに対応していると思われるようなペアの言葉を、仏教の中だけでなく、それ以外のいろいろな分野でも探してきました

そのいくつかを紹介すると、たとえば、ギリシア語のテクネー-ポイエーシス、道元さんの著述の中にあった強為(ごうい)-云為(うんい)、拘束-自由、他律-自律、小乗-大乗、外発-内発、目的重視-過程重視、分離-統合、人為ー自然(じねん)、処理-発見、線形-非線形、二元論-一元論、要素論的-全体論的、などです。これで充分という訳ではなく、まだまだ見つけようと思っています。

こういう言葉を重ねていくことで、この二つのパラダイムの特徴というか、輪郭がだんだんくっきり浮かび上がってくるのではないかと思っています。前者が駄目で、後者が良いという価値づけではなく、われわれが念頭に置いておくべき、二つの異なるアプローチという平等の位置づけで考えていますが、前者はこれまで、そして現在も優勢なアプローチで、その偏重から多くの問題が立ち現れてきていると僕は見ています。ですから、自然に重点は、後者のアプローチをいかに宣明するかという所に置かれることになります。仏教、禅、坐禅をそういう第二のパラダイムとして見直してみようというのが僕の一つの構想なのです。

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【坐禅講義21】第一講:菩提樹の下の坐禅

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