(前回の講義)

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みなさん、ここまでのところだいたいフォローできているでしょうか?

質問とかありましたらご遠慮なくお寄せください。

答えられる範囲でお答えしたいと思いますので。

まだレスポンスが一つもないのは淋しいので、よろしくお願いします。

 

今日は「況乎全體逈出塵埃兮、孰信拂拭之手段」の部分を扱います。

伝統的な読み下し方では「況んや全体逈(はる)かに塵埃(じんない)を出(い)づ、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん」と読みます。

全体というのはこの前に出てくる「道本」、「宗乗」と同じもの、つまり坐禅の当体を指しています。

坐禅の時の身心というのは尽十方界が自己の真実人体となっているので全体というわけです。

今の言葉で言えば、宇宙の全体ということです。

そこには、塵や埃として嫌うべきものは何一つなくすべてを坐禅の風景として一目で見ているので塵埃を出ていると言われます。

ですから、塵や埃を払ったり拭いたりするための手段を信用するということもないわけです。

坐禅をして、煩悩の塵や埃を払い除け、心の中を綺麗にしようという通俗的な理解は的外れだということになります。

少なくとも、そういう払拭の手段と坐禅を混同してはならないのです。