(前回の講義)

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今回は「若し坐より起(た)たば、徐々として身を動かし、安祥として起(た)つべし。卒暴なるべからず」のところです。

細かい話になりますが、曹洞宗では普通はこのように読み下すのが慣わしですが、「坐より起(た)たば」と読んだら、すでに立ち上がっているような意味になりますから、正しくは「坐より起(た)たんには」と読んだ方が原意に親しいと思います。

ここのところは坐禅を終わって、坐から立つときのお示しです。

坐禅に入るとき、坐禅中、坐禅を終わるとき、いずれも坐禅の重要な一部です。

坐蒲の上に坐っているときだけが坐禅修行なのではなく、時間の流れの上で、坐禅の前に広がっている日常生活、坐禅の後ろに広がっている日常生活もまた坐禅修行として行われていなければ、坐禅そのもの成熟もありません。

ですから、坐禅をどう終わって、日常生活へと接続していくかにも細心の注意が払われるべきなのです。

「徐々」というのは、静かに整った仕方で、小さな動きから大きな動きへと体を動かしていく様子を指します。

「安祥」とは安穏詳密ということで、今「マインドフル」と言われている身心のあり方のことです。

余念をまじえず、行き届いた心遣いで行われる動作を意味します。

その逆が「卒暴」です。

礼儀に欠け、粗雑な態度のことです。

坐禅人は、生活万般何事を行うにも卒暴を避け、安祥であるように心がけなくてはなりません。

 

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