永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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【「只管打坐」〜「マインドフルネス」と坐禅(1)~1 】

……今、めい想が大ブーム!宗教性を排除したことで、「マインドフルネス」の名で世界中に広まっている。

ビジネスの世界では効率をアップさせると大人気。

さらに医療の現場では、うつ病の再発防止などでも応用されている。

その理由は、最新の脳科学により、わずか数日の実践で脳が改善することが分かってきたためだ。

番組では簡単に実践できるマインドフルネス法もご紹介!脳が劇的に変化を遂げ、ストレスから解き放たれる秘密に迫る!


……これは先日放映された、NHKEテレサイエンスZERO「新・瞑(めい)想法〝マインドフルネス〞で脳を改善!」の宣伝文句(キャッチコピー)である。

この他、NHKではNHKスペシャルでの「シリーズ キラー・ストレス~そのストレスは、ある日、突然死因に変わる~」やガッテン!での「ボケない!脳が若返る『めい想パワー』SP」で「マインドフルネスというアメリカで生まれためい想法」が立て続けに紹介された。

またつい先日、十月二二日の日本テレビ「世界一受けたい授業」でも、マインドフルネスがとりあげられた。

大型の書店に行けば「心理療法」や「ビジネス」のコーナーに「マインドフルネス」という文字を冠した本が、ずらりと並んでいるのを見かけることができるはずだ。

読者のみなさんの中にも、最近この言葉を眼にしたり耳にしたりした方が多いのではないだろうか。

ここに来て急に「マインドフルネス」という言葉が流行り出しているように見えるのだが、これはいったい、どうしたことなのだろうか?


その背景としてまず考えられるのは、どうみても、アメリカを中心とする欧米における「マインドフルネス」の隆盛だろう。

これまでアジアの伝統的仏教国において、静謐な寺院のなかで主に出家した僧侶たちによって修行されてきた「仏教的瞑想法」が、今や「マインドフルネス」として仏教の伝統を持たない欧米の世俗の巷(ちまた)において、僧侶ではない人々によって、緩和ケア、うつ病再発予防、依存症治療、ストレス低減、トラウマ・ケア、更生保護といった臨床的諸分野で積極的に応用されている。

そして、その効果・効能が科学的なエビデンスによって確認されることで、現在mindfulness movement(マインドフルネス運動)と呼ばれるような大きな盛り上がりを見せている。

それは一つの文化現象と言ってもいいほどである。

昨今のテレビ、マスコミでの〝マインドフルネス現象〞はその運動の波がいよいよ日本にも、および始めている兆候と理解していいのではないかと思う。


わたしが初めて「マインドフルネス」という言葉を知ったのは、一九八七年の夏に、アメリカ東海岸マサチューセッツ州の西のはずれにある、林の中の小さな坐禅堂に住持として赴任して間もなくのころだった。

アメリカ人の参禅者たちと、英語で禅や仏教のことを語らなければならない配役になったので、まずとにかく英語の仏教書を読んで、仏教がどのような英語の表現で説かれているのかを知ろうと考えた。

それで、精神世界の本を重点的に置いてあると聞いた書店に行って、自分にも読めそうな仏教書を物色してみた。

そこで眼についた本の一冊が、Thich Nhat Hanhというその時はまだそれをどう発音すればよいのかもわからない、未知の著者の本だった。

タイトルはThe Miracle of Mindfulness。

中をぱらぱらと見てみると、それほど難しそうな英語ではないし、分量もそれほどではないからそれを購入して読み始めた(邦訳は『〈気づき〉の奇跡:暮らしのなかの瞑想入門』春秋社刊)。

後にこの著者の名前は、ティク・ナット・ハンと発音されるということを知った。

読んでみて、この書は彼がベトナムに平和をもたらすために命がけで奔走していたベトナム戦争時代に、友人のために書いた「瞑想の手引き」が元になったものだということがわかった。   


驚くほど平易で、みずみずしい言葉で仏教の核心と瞑想のコツが説かれていて、大きな感銘を受けた(それから九年後に、ティク・ナット・ハン師が来日し、自分がアメリカからよばれて、その通訳者の一人になることなど、その時はまだ知る由もなかった)。

ティク・ナット・ハン師は「マインドフルネス」のことを「今という瞬間に目覚めている力(エネルギー)で、毎日の生活の一瞬一瞬で、生きることに深く触れることを続けていく実践を意味します。マインドフルであることは、あなたが今ここにしっかりと生きることであり、あなたのまわりの人たちや身の回りで起きていることと、一つになることです。マインドフルネスによって、お皿を洗っているときも、車を運転するときも、朝のシャワーを浴びるときも、いつでも心と体をひとつに調和させるようにします。」と説明しているのだが、マインドフルネスというコンセプトと、実践が自分がそれまで学んできた漢語の仏教用語の、いったい何に相当するのかということがその時すぐにはわからなかった。

今なら、インターネットで調べればすぐに判明するのだろうが、当時はそのような便利な検索テクノロジーはなかったのだ。

しばらくしてから、それがどうやら漢語の「念」に当たるということがわかってきた。

念仏の念、八正道の中の正念、『仏遺教経』や『正法眼蔵八大人覚』の中にある「不忘念」のことであり、パーリ語のsati、サンスクリット語のsmrtiに相当する英語の仏教語だったのだ。

 

 

 

 

 

 

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋