(前回の講義)

https://masenji.com/contents/f911fec4c816

今日お話しするのは原漢文では「停心意識之運轉 止念想觀之測量」、曹洞宗の読み習わしでは「心意識(しんいしき)の運転を停(や)め、念想観(ねんそうかん)の測量(しきりょう)を止(や)めて」と読みくだされる部分です。

註釈書によれば、心は第八阿頼耶識、意は第七末那識、識は六識を意味し、念は『念処経』に書かれているような瞑想法、想は日想観、月想観のようなヴィジュアリゼーション法、観はたとえば阿字観ような観法を指します。

要は、「心意識の運転」というのは日常的な心の使い方のことで、「念想観の測量」というのは瞑想修行のさまざまな技法の実行のことを意味していると理解すればいいでしょう。

坐禅の時の心の働きはそのどちらでもないので、このように言われるのです。

ではどのような心の働きだというのでしょうか?

停というのは「亭」の意味に基づいて、旅人が憩うように、普段働きづめに働いている心意識を休ませ憩わせるというニュアンスがあります。

ですから、悪玉扱いにしてやっつけるというような暴力的なところは全くありません。

止というのも、仏教で開発されたような各種の瞑想技法を適用しないということです。

坐禅では静かで明晰な心本来の働き(自性清浄心)がフルに発揮されることが要求されていると私は理解しています。

●今回の動画配信