永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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前回はアレクサンダー・テクニークの基本的な考え方を概観することだけで紙面が尽きてしまったが、わたしがもともと書きたいと思っていたのは、去る六月四日にアメリカ合衆国ノースカロライナ州アッシュヴィルにあるグレート・ツリー・ゼン・テンプル(大樹禅寺)で受けたアレクサンダー・テクニークのレッスンで学んだことについて、であった。


この禅センターの指導者である貞静・ムニック尼とはずいぶん昔からの知り合いで、彼女の師である故片桐大忍老師(一九二八~一九九〇)が創設したミネソタ州にあるミネアポリス禅センターや、北米の僧侶が集まる研修会などでよく顔を合わせてはいろいろ話をしていたが、この時まで彼女の禅センターを訪ねる機会には恵まれていなかった。

今回幸いにも機会を得て、大樹禅寺を初めて訪れることができた。

これまでの二人の交流から貞静さんは、わたしがボディ・ワーク(からだへの働きかけを通して身心の変容をもたらそうとする身体技法の総称)に関心を持っていることや、からだの動かし方や使い方の面から坐禅に迫っていこうとしていることをよく知っていたので、自分の友人でタイ式マッサージを生業(なりわい)としているロバートさんと、禅センターのメンバーでアレクサンダー・テクニークの教師のメレディスさんにコンタクトを取ってくれて、わたしが今回の滞在中にそれぞれタイ式マッサージの施術とアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けることができるように計らってくれたのである。

まことにありがたい配慮だと彼女に感謝している。 


ロバートさんは若いころヴェトナム戦争時に良心的徴兵拒否でタイに渡り、そこでタイ式マッサージだけでなく、南方仏教僧についてヴィパッサナー瞑想を学び、アメリカに帰ってきてからも瞑想修行を続けているので、マッサージを受けながら、また施術後のお茶の時間にわたしの坐禅修行の上で、いろいろ有益な話を聞くことができた。

かれの施術は非常にソフトで、わたしのからだの反応を繊細に感じながら、焦点を当てる場所を足先から頭部に向かって少しずつ変えながら、各部の関節や筋肉をゆっくりと動かしていく。

それは、局部をもんだりさすったりする普通のマッサージというよりは、かれの手の導きに従って、マッサージ台の上で、自分が全身でヨーガ、あるいは太極拳をやっているといった感じがした。

あるいは別な言い方をすれば、「施術する人→施術される人」という一方的な関係では なく、まるでかれとパートナー同士でダンスをしているような感じであった。

それをかれに伝えると、「施術をしているときは、わたし自身も、あなたと一緒に動く瞑想をしているような感じがしているんですよ。

それに実は、わたしは仕事として社交ダンスも教えているんですよ」という返事が返ってきたのであった。 


さて本題の、メレディスさんのレッスンである。

彼女からもらったパンフによると、メレディスさんは 一九八八年からアレクサンダー・テクニークを学び始め、一九九九年にアレクサンダー・テクニーク教師の資格を得ている。

またヴァイオリンの演奏家であり、マッサージ・セラピストの資格も持っている。

レッスンの後の雑談の中で知ったことだが、彼女は日本の小浜にある仏国寺で原田湛玄老師に教えを受けているそうである。

大樹禅寺の坐禅堂のスペースを借りて彼女から受けた一時間半ほどのアレクサンダー・テクニークのレッスンでわたしが学んだことを以下にかいつまんで書いてみよう。


彼女はわたしが坐禅修行者であることをあらかじめ承知していたから、この時のレッスンはおそらく、坐禅をする者にとって特に重要なポイ ントであろうと彼女自身が考えていることをわたしに伝えようというのがねらいだっただろうと思う。

その意味では、坐禅修行者向けの特別仕様のレッスンだったのかもしれない。

まずレッスンがどのように始まったか、である。

「あなたはもうアレクサンダー・テクニークの基本的な考えは知っていると思うから、その説明は省いてさっそく動いてみましょう。これは、アレクサンダー・テクニークの他の教師たちはたぶんやらないかもしれないけれども、わたしは大事だと思うから...」と断って、彼女はわたしに「そこに自分が楽なように立ってみて。はい、そうしたら、今度は自分のからだが足を通してどんなふうに床に支えられているか、それを感じてみて」と言った。

そして「わたしのレッスンはまず床にしっかりグラウンドするところから始めるの」と言いながら、自分の手でわたしの両足に触れながらそれがもっと縦や横に広がるようにしたり、足の甲を上から軽く触れて下に向かって押したりした。

さらに「からだの重さが上からまっすぐに足裏に伝わるように...」と言いつつ、左右それぞれのすねのあたりを両手で包むように持って何かを感じながら微妙に動かしていく。

どうも、わたしの足と膝から下の部分の位置関係を微調整(?)しているような感じである。

しかも、筋肉ではなく骨のつながり具合を問題にして触れられているような気がした。


『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋