永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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【「只管打坐」appamadaに坐る坐禅1 】

.....そこで尊師は修行僧たちに告げた。

―「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」。

これが修行を続けて来た者の最後の言葉であった。

...... これは中村元訳岩波文庫版の『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』に描かれている釈尊が入滅される直前の様子である。

「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」というのが、弟子たちに残した釈尊の最後の言葉だったということを初めて知った時、多くの人々から「人類の教師」の一人として、たたえられる偉大な人物の最後の言葉にしては、ひどく平凡なというか仏のイメージには似つかわしくない地味な言葉だなあという印象を持ったことを思い出す。

彼ほどの人ならば、もっと人を驚かせるような、ドラマティックで印象的な言葉であってもよかったのではないだろうか。

弟子たちに向かって「わたしが死んでも、ちゃんと修行しろよ」と言って亡くなるというのは、いかにも月並みなものに思えたのだった。

しかし、それから三十年以上の年月が経つうちに、その言葉の受けとめ方がだいぶ変わってきた。

現在のわたしには、この言葉がいかにも釈尊らしい、そしてわれわれ仏教者にとって極めて重要な、仏教に相応しい訓戒として聞こえてくる。  


釈尊が四五年間の長きにわたって説き続けた一切の教えが、「無常を観ること」と「修行に精励すること」の二つに凝縮されているのだ。

なにより釈尊自身がその自分の言葉通りに、まさに生涯を通して「無常を観じつつ、怠ることなく修行」した人であった。

だから、この言葉は釈尊でなければ言えなかった、この上なく深い意味を湛えた言葉だと今は思える。

われわれ修行者には、おなじみの鳴らしものの一つである木版には、しばしば「生死事大 無常迅速 各宣醒覚 慎勿放逸」という「無常迅速の偈」が書かれている。

「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と道元禅師も言われているように、「生き死にの問題はわれわれ一人一人にとっての一大事である。時は無常にしてきわめて迅速に過ぎ去っていく。だから修行者は各自つねにはっきりとこの無常の事実に目覚めているべきであり、弁道精進につとめ、くれぐれも無為に過ごしてはいけない」という意味である。

これは、今論じている釈尊最期の言葉をまっすぐ木版に受け継いだものだ。

われわれはこの木版の音を聞くたびに、釈尊の最後の言葉を思い起こして、修行に弄精魂(ろうせいこん)(専心修行に励むこと)しなければならない。


しかし、わたしはある時期から、この最後の言葉に託された釈尊の真意(深意)が果たして単に「一生懸命修行しなさい」といった修行の「量」の問題だけにあったのかどうかということが、気にかかり始めたのである。

修行の「量」ではなく「質」の問題はどうなのか、ということだ。

それにはいろいろな要因が絡んでいるのだが、大きな理由の一つは間違いなく一九九五年のオウム真理教事件であった。

その頃、わたしはまだアメリカの禅堂で暮らしていたのだが、日本でのオウム真理教の動きには海の向こうから大きな関心を持っていた。

まだサリン事件が起こる前のことであったが、日本に一時帰国していた時、縁があって東京杉並のオウム真理教の道場まで教祖の麻原彰晃に会いに行ったことがあった。

彼の信者だという大学生の若者に出会って、彼に誘われてのことだった。

その時あいにく、麻原は富士山の総本部に行っていて会うことはかなわなかったが、代わりに、当時ミラレパ正大師と呼ばれていた新見智光に会い、応接室で二時間近くいろいろな話をした。


口元にうすら笑いを浮かべ、どこか目線が定まらぬような様子の彼であったが、受け答えはちゃんとできていた。

「禅も素晴らしい修行法ですが、いかんせん時間がかかりすぎます。われわれは尊師からのシャクティーパット(霊的エネルギーの注入)を受けることができますから、ステージを一気に駆け上がることができるのです。おかげでわたしは今は阿羅漢のステージを終わって、大乗のステージを登りつつあります」といったようなことを語っていた。

わたしは「わたしの学んでいる禅では進歩が速いとか遅いということは問題になりません。そもそもステージというような考えをしないからです。」といった応答をしたことを思い出す。

オウム真理教をめぐる一連の事件は、わたしと同世代の人間たちが、中心になって起こした事件であったこと(現に、麻原はわたしと同学年であり、わたしと同じ高校を卒業して東大の医学部まで進んだ後輩が事件の中心人物の一人として加わっていた)と、修行の方向性を間違うと、ここまで悲惨なことになるのかということを否応なく見せつけられたことで、わたしに大きなショックを与えた。

彼らの多くはおそらくは「怠らず、一生懸命修行していた」はずなのに、どうしてああいうことになってしまったのか。

どこをどう間違えたのか?

日本の仏教の中に、さらに言うなら日本の社会全体の中に「オウム真理教的な体質」というものが潜在していて、それがああいう形で吹き出てしまったのではないか。.

..そういう大きな問いを突き付けられた気がしたのである。

 

 

 

 

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋