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【坐禅講義81】第四講:経行のこと


坐禅のやり方についてはこのくらいにしておきます。

後いくつか話し残したこと があるのでそれをお話しして講義を終わります。

「坐禅に一切まかせる」という表現を何度もしました。

それは、われわれはあまりにも意識だけで坐禅の全てをこなそうする傾向が強すぎるので、それへの解毒剤として、からだの自然にまかせることを強調してきたのです。

しかし、意識にはそれより大きな生命的働きのなかで意識として果たすべき役割があり、それはきちんと果たさなければなりません。

意識の仕事を減らしていくということは、同時に意識の本当の仕事を見出していくことでもあるのです。

思うにわれわれの意識はどうも非常事態用に仕様されているようで、本当は平常な状況にいるにもかかわらず非常事態であるかのように働いてしまうことが多いのです。

坐禅のときは平常時そのものですから、そういう観点からすれば、平常の事態でどう振舞えばよいのかを意識が謙虚に学んでいる場だとも言えます。

過去のことを後悔するのでもなく未来のことをわずらうのでもなく、自分の中や外で今すでに起きつつある豊かな世界のありのままの姿に気づいていくこと、 安心して平常のなかでくつろぐこと、意識とは別な仕方でいつも働いて自分を支えてくれているより大きないのちの存在を感じつつ意識としての自分の分限と責任をわきまえていく......ことなどを実地に学んでいるのです。