【坐禅講義78】第四講:自ずからなる調息
藤田 一照 藤田 一照
2018/08/31 07:05

【坐禅講義78】第四講:自ずからなる調息

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【坐禅講義77】第四講:正式な坐禅の始まり

このようにして自ずからなる調身が深まるのと同時相関的に、からだのなかにゆったりとした空間のようなものが生まれ、楽でしかも深い呼吸が自然にできるようになります。

呼吸法の名の下に意識が押しつける人為的な呼吸ではなく、からだ本来の自然なリズムで空気が鼻のところから微かに静かに出入りするようになります。

息が自ずから入り、また出ていくのに任せ、息と息の間は完全にくつろいで、次の息がそれ自身の仕方でやってくるまで待っています。

入息によってからだ全体がゆっくりと膨らみ坐骨が坐蒲を押し下げつつ骨盤がわずかに前に傾きそれに伴って背骨が下から上へとわずかに立ち上がっていきます。

出息ではからだ全体が弾力によってゆっくり収縮し骨盤や背骨が元の位置に戻ります。

こうしてからだの隅々にまで息の満ち干の波が届いていきます。

それを邪魔しているような緊張やコワバリがどこかにあればそこを息の波がスムーズに通過できるように辛抱強く解きほぐしていきます。

そのやり方は各自の工夫を要しますが、わたしの場合を言えば、そういう箇所があれば、さっき手の平の中央で息をしたように、しばらくそこで息を吸いまた吐くようにしていると、そのうちにそこを息の波が通るようになることが あります。

こうして息によって一息ごとにからだがますますほぐされていき姿勢が自ずと調っていきます。

息が自然に生み出すこのような微かな動きをそれとなく(注意を凝らして力んで「集中」するのではなく)くつろぎながら感じていると入息と出息、出息と入息のあいだで息が止まっている時間が「見える」ようになってきます。

見ようとして「見る」のではなく「見えてくる」のです。

この息の「間」はシーンと静まりかえった感じがひときわ冴えわたる貴重な時間です。

そのようなときには思いも自然と浮かんできません。 

 藤田一照著「現代坐禅講義」(P.420~)より一部抜粋

  

《藤田一照 一口コメント》  

  この引用文を描いた頃には、入息の時は体全体が膨らみ、出息の時は体全体が縮むというような言い方をしていました。

風船のようなイメージですね。

確かにそういう感覚があるので、これ自体は間違いがないのですが、

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