【坐禅講義70】第四講:坐禅の実際―からだほぐし②
藤田 一照 藤田 一照
2018/07/06 07:03

【坐禅講義70】第四講:坐禅の実際―からだほぐし②

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【坐禅講義69】第四講:坐禅の実際――からだほぐし①

 今度は下から上に向かって一つ一つの関節をぐるりぐるりと回し、そのことで骨の周りについている腱や筋肉をほぐしていきます。


左右の足の指を一本ずつ丁寧に 二方向に回すことから始め、足首、膝、股関節、骨盤、背骨の臍の高さと乳首の高さ、肩甲骨、肘、手首、手の指一本一本、首という具合です。

背骨は特にほぐしたいところなので時によっては、様々なやり方で背骨揺らしや背骨ひねりを入れたりします。

ストレッチというと硬い筋肉を無理矢理引き伸ばすようなことをして逆に緊張させてしまいがちですから、筋肉のことはすっかり忘れて骨を関節の部分で可動範囲を少しずつ広げるようにしてやさしくゆっくり回していくのです。

この関節回しは、説明の便宜上、足の指とか、足首とかからだの部分名を言いながら行いますが、実はどの関節を回しているときでも、余計な力みや緊張を作り出さないようにして、回すことでからだ全体が細かく揺すられているような、あくまでも全身運動として行ってもらいたいのです。

それを全身で感じながら行なうようにいろいろガイドしながら進めます。

最後にこれは関節ではありませんが、眼の緊張をほぐし視野を広げる(=意識を広げる)ことをねらって、眼球を上下、左右、対角、時計 方向、反時計方向にできるだけ大きく動かします。

いわば、簡単な眼のヨーガです(動き方のこれ以上詳細な説明は省略)。



最後に、からだの各関節をぐるぐる回すことで活性化したエネルギーを鎮めそのまま坐禅にシフトしていくために「自己手当て」をします。

両手をこすり合わせて手の平を暖かくし、まずさきほど大きく動かした両目にまぶたの上からその手を当てます。

手の平の中央(東洋医学で「労宮」と言われている場所)が眼球のあたりにくるようにして両眼を覆うのです。

その際「手の平の中央に穴が開いていてそこ から息を吸い、息を吐く」というイメージを持ちながら自然な息を続けます。

そのうち本当にそういう感覚が手の平に感じられるようになります。

大体九呼吸間ぐらいそうやって手を当てておきます。

それから指でまぶたを数回さすっておきます。

次に両耳の上辺りの側頭部に手の平がくるようにして手を当てます。

同じ要領で手の平で息をし、終わったら触っていたところをさすります。

以下、親指側を下にして喉の甲状腺を両手の平で包む、左右の手を重ねて胸の中央に当てる、後ろに手を回して左右の腎臓にそれぞれ左右の手を当てる、最後は前に返って両手を重ねて臍に当てます。

手の平で息をするイメージを持つこと、九呼吸間くらい手を当てておくこと、終わったらそこをさすっておくことはいずれの場合も共通しています。

この自己手当てのやり方は気功指導者の津村喬さんから教わったものです。

こころが静まるような音楽をBGMとして流しながら行ないます(これ以上詳細な説明は省略)。

指導しながら皆さんを観察していると、何も言わないのに自然と姿勢もよくなり、こころも静まっているようで、皮肉なことに(?)坐禅のときよりはるかに坐禅の心地になっているように見受けられます。

考えごとや眠気、不快感と闘っているようには見えないのに、そういうことがほとんど起きていないようなのです。

なまじ「これから坐禅をするぞ」と思わない方がちゃんと坐禅に成るんだなと考えさせられる機会になっています。

坐禅という言葉を一切使わず、坐禅とは全く思え ないようなやり方で坐禅を説明し、それをやり終わったあとで初めて「はい、あり がとうございました。

実は今のが坐禅でした」、「えー、そうだったんですか」となるような指導法が理想的だなと思っているのです。



場合によっては、このあとヨーガの呼吸法(スクハ・プルバグ、ウッジャイ、カパラ・バティなど)や神道由来の発声法(す・う・あ・お・え・い)などを行なうことがあります。

そういう特別な呼吸や発声を通して、身心がまるごとの全体としてして細かく揺すぶられ、泡立ち、そして鎮まり、一つに統合されることをねらっているのですが、文字による説明では細かいことをお伝えしにくいので省略します。

ここではいちおうこういうメニューと流れでからだほぐし、こころほぐしを目指した体操をしているということがわかっていただければいいと思います。

その全貌の詳細にわたる説明は別の機会に譲ります。

この体操がからだやこころを緊張させるのではなく、本来のねらい通りに身心が ほぐれていくようなものになるためには、ある動きの原則に気をつけながら動いてもらわなくてはなりません(これらの原則は坐禅のときにもそのまま適用されるべきものです)。

そうならないようにいろいろ気を配って説明してはいるのですが、どうしても普段やっているような不適切な筋肉の緊張と不注意さでそれをやってしまう人が多いので難しいところです。

個々の動き自体はごく簡単なものですが、動き方の質は説明すれば即できるようになるというような簡単な話にはなりません。

坐禅と同じ難しさがそこにあります。

ですからここでその原則を述べても、それを自分のからだの実際の動きとしてどう翻訳するかということになると、「誤訳」される可能性の方が多いのです。

やはり面と向かって一緒に探究していかなければなかなか伝わらない性格のものなのです。

ですから今述べたからだほぐしの体操の時間は、言われたことに習熟してその方法をマスターしていく、できる-できないを問題にする「習禅的」なものではなく、わたしが行なうガイドを手掛かりにして自分のからだやこころに問いかけながら未知なる世界をそのつど新鮮に探求し発見していく、実験的精神にあふれた「坐禅的」なものでなければなりません。



そういう限界を承知の上でいくつかの原則をあげてみますから、ヒントにしていただければと思います。

からだの声に耳を傾けながら、余計な力を使わず最小の労力で動く工夫をする。

そのためにゆっくりと呼吸にあわせて無理なく動く。

自分の限界を尊重すること、しかし最初から限界を設定しないこと。

動かしている部分にだけ注意を偏らせずからだ全体も同時に感じているようにする。

筋力ではなく自分のからだの重みを主動力にして動くようにする。

それぞれの動きが生み出す独特の感覚を全身で深く感じ、味わう。

関節を通した全身の繫がりを感じながらからだ全体として動くこと。

間を大切にし、動きの後の余韻、効果を静かに味わうこと―― こういう質を持った動き方については、アレクサンダー・テクニーク、フェルデン クライス・メソッド、ヘラー・ワーク、気功、野口体操、古武術などに学ぶべき多くのものがありますから、関心のある方はこれらの分野の指導者に直接学ばれ、坐禅に活かしていったらいいと思います。

 

 藤田一照著「現代坐禅講義」(P.391~)より一部抜粋

  

《藤田一照 一口コメント》  

 ここに述べられている関節回し、背骨回し、自己手当という坐禅の前にやる「ほぐし」のやり方は、葉山の坐禅会ではここしばらくやっていませんでした。


自分なりにうまくできた流れだなとは思っているのですが、毎回決まったように繰り返していると、これが何か確立された一定のメソッドであるかのように受け止められるといけないと思ったのと、僕自身が飽きてきたということがあったので、しばらくお休みして、別なアプローチでのほぐし方を模索してきました。

それがこの頃になって

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