【坐禅講義69】第四講:坐禅の実際――からだほぐし①
藤田 一照 藤田 一照
2018/06/29 07:03

【坐禅講義69】第四講:坐禅の実際――からだほぐし①

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【坐禅講義68】第四講:結果自然成の坐禅

 

さあ、前口上はこのくらいにして、いよいよ坐禅の実際についてお話ししていくことにしましょう。

 

わたしの坐禅会では坐禅の前に一時間くらい時間をかけてじっくりとからだをほぐしていく体操をしています。

 

これを坐禅の準備運動だと受けとる人がいますがそれは誤解です。

 

わたしはこの体操は準備なのではなく、れっきとした坐禅がもうそ こで始まっていると思っています。

 

もっと言えば、「明日坐禅に行こう」と思ったときからもう坐禅は始まっていると言えるのです。

 

いつもなら飲むお酒を今日は控えておこうとか、いつもなら夜遅くまでテレビを見ているけど今夜はやめておこうとか、翌日の坐禅がちゃんとしたものになるためにそういう行動上の変化が起きているわけです。

 

それもれっきとした坐禅の一部とよんでもいいのではないでしょうか。

 

そういうことが翌日に坐る坐禅に間違いなく反映されるのですから。

 

 

 

バス停から坐禅会の会場まで歩いていることも、単に歩いているのではなく、坐禅をするために歩いているのですから坐禅に直接繫がっている歩きだと言えるはずです。

 

その歩きがなければ坐禅は実現しません。

 

実は「明日坐禅に行こう」という思いがどこから起こってきたのかということを問題にすれば、さらにそれ以前に遡ることになり、坐禅がいつ始まったかを特定することが困難になります。

 

坐禅のすそ野はどこまでも広がっていきます。

 

さてそれはともかく、このからだほぐしの体操は、もちろんからだをほぐすことでこころもほぐれることをねらっています。

 

またからだをほぐすことがこころをほぐすことになるようなからだのほぐし方をそこで実地に学んでもらうこともねらっています。

 

そういう体操を通して自分のからだやこころのより自然なあり方や使い方を知り、自分の気づいていなかった身心の素晴らしい可能性を見つけて欲しいのです。

 

自分のからだの精妙な繫がりに気づくことや身体感覚をきめ細やかに感受すること、そういったことが云為の坐禅で発揮される身心の力になるのです。

 

 

 

坐禅会に来ているのは朝早く起きてバスや電車や車に乗ってはるばる来ている人 たちばかりですから、到着していきなり坐禅するには身心の状態が調っていない場合が多いのです。

 

日常のいろいろな雑事や気がかりやら身心の疲れをそのまま抱えてきている人もいるでしょう。

 

ですからこの「からだほぐし体操」はそうした普段の身心から坐禅の身心への切り替え、『普勧坐禅儀』で言われている「諸縁を放ち捨て万事を休め息う」モードへの移行を促進することもねらって行っています。

 

とまあ、わたしとしてはいろいろのねらいを持ってやってはいますが、みなさんにはそういうことをいちいち意識しないで要はほぐしを楽しんで味わっていただければそれでいいのです。

 

具体的にどういう体操をするかということはそのときそのときの参加者の顔ぶれだとか季節や気候条件、体操に使える時間の長短、わたしの気分だとかいろいろな条件で一定していません。

 

ほとんど即興的に思いついたことをやっていると言った方がいいかもしれません。

 

わたしとしてはラジオ体操のような決められた一連の動きのセットにしたくないのです。

 

それを覚えてしまえばあとはその繰り返しというようなことになると、パターン化というか慣れというか新鮮味がなくなり機械的なものになってくるので毎回少しずつ違うことをやるようにしています。

 

 

 

毎回初めてそれをやるというような初々しさがあってほしいのです。

 

この講義ではその体操のいちいちの細かい動きを説明することはしませんが、基本的な流れと原則についてお話しします。

 

それをヒントにみなさんが各自で自分なりのほぐし体操を発明していっていただけたら幸いです。

 

わたしの坐禅会はまずはじめに、一人一人が約八八センチ四方のかなり大きな坐布団に正座で坐り、「おはようございます。よろしくお願いします」と声に出してから、全員がそろって日本式の座礼をするところから始まります。

 

手の平全体を床につけて頭を深く下げる、お茶の所作でいうところの「真」のお辞儀ですね。始まりの挨拶のあと通常は、このお辞儀を発展させた動きを正座の姿勢のまま行ないます。

 

まず、軽く息を吐いてから口を開けて息をたっぷり吸い込み、口を開けたまま息をゆっくりと吐きながら上体を前に倒していきます。

 

そのとき両手は手の平を上に向けて手の甲を座布団の上で後ろにすべらせていきます。

 

おでこを坐布団につけお腹がしっかり圧縮されるようにします。

 

息が吸いたくなるまでそうやって 待っていてから、口を開けたまま吸い込み、息が入ってくるにつれて骨盤、腰、背 中、首、頭と順々に風船が膨らんで内側から起き上がってくるような感じで上体が起きてきます。

 

腕は両側にだらんと垂らしたままにしておきます。

 

口を閉じて静か に鼻から息を抜いていきます。

 

また口を開けて息をたっぷり吸い込み、さっきと同じような要領で上体を倒し、また起こします。

 

これを三回くらい繰り返します。

 

やっているうちにあくびや涙が出てくることもありますが、それはこの動きがうまくいってからだとこころがゆるんできた証拠です。

 

からだの中の詰まり、特にみぞおちのあたりの硬さがほどけ、息の通り道がすーっと通ったような感じがしてきます。

 

これは対談者の一人の松田恵美子さんから手ほどきしてもらった動きです。

 

最初にこれをやるだけでもかなりの気分転換ができているという手ごたえがあります。

 

簡単な動きですが奥深いものがあります。

 

息をすっかり吐き出して床に自分を完全にゆだねていくという動きはいわば普段の自分に死んで行くプロセス、作りものの「自分」を維持しようとする難行苦行(?)から解放されていくことだと言えます。

 

息を吸いながら、そして床からの力をもらいながらからだが起きていく動きは、新しい自分が再生していくプロセス、「自分」というヨロイを下した素の自己がフレッシュに立ち上がってくることだと言えます。

 

洋の東西を問わず、床にひれ伏しそこからまた起き上がるという動きが礼拝の基本になっていることの意味はそのあたりにあるのかもしれません。 

 

 

 

次にここで正座からあぐらに坐り方を変えてもらい、手で上から下に向かって全身をやさしくなでさすっていきます。

 

頭、顔、首、肩、腕、手、胴体前部、体側 部、背中、腰、尻、大腿部、膝、すね、足という具合です。

 

それぞれの部分の骨のかたちをなでながら確かめていくような触り方で、というふうに説明しています。

 

哺乳類としての人間はからだをやさしくなでられることで安心し落ち着くようにできていますので、それを自分でやっているわけです(さすり方のさらに詳細な説明 はここでは省略)。 

 藤田一照著「現代坐禅講義」(P.391~)より一部抜粋

  

《藤田一照 一口コメント》  

 ここで紹介している僕の坐禅会でのからだほぐしのやり方は、当時のもので、今はだいぶやり方が変わってきています。

 

もちろん、それを導くスピリットというか考え方は、ここで書いてあることを踏まえています。

 

基本的な方針に変化はありません。

 

この文章を書いてから以降に、僕はロルファーの藤本靖さん、小笠原和葉さん、武術家の光岡英稔さん、甲野善紀さん、小用茂夫さん、医師の稲葉俊郎さん、ヒモトレの小関勲さん、アレクサンダーテクニークの田中千佐子さん、といった多くの人たちと出会う縁に恵まれ、それぞれの人たちから

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