永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

----------------------------------------------------------

方法以前の打坐

わたしは「釈尊の樹下の打坐」は、以上のような「無明的」あり方でもなく、「人為的」あり方でもない、それら二つの極端を離れた「中道」的あり方の実現であったと考えている。

自らの身心の働きに関してまったく無意識、無自覚で、ただ習慣の力に操られて「無明的に」生きているのでもなく、かといって意識的なコントロールによって人間が考え出した方法に身心を一方的に従わせて「人為的に」生きるのでもなく、身心が自ずと働いて活動しているありさまを意識がはっきりと覚めて深く細やかに味わっている、そういう第三のあり方が見出されたのだ。

息の喩えで言うならば、息が自然に起きている(自分が意図的に起こすのではなく)ところを、意識がそれに干渉することなくちゃんと見守っている(注意がそれてそれに気がつかないのではなく)というあり方である。

これを「身心の働き」と「意識」の関係で言い直してみると、「無明的」あり方では身心の働きに意識が向き合っていない状態(だから身心が不自然な働き方のままで停滞している)、「人為的」あり方では身心の働きを意識が不当にも一方的に支配しようとしている状態(だから不必要に苦しいし、身心の深層に届かないからそれをやめたら元の木阿弥にもどってしまう)ということになる。

それが打坐においては、身心が自ずからに働いているところに意識がきちんと向き合っている(だから身心が意識からのフィードバックを受け取って自己調整し働きが向上していく道がひらけている)。

これが樹下の打坐の革新性の一つなのではないだろうか。

当時の修行法の枠組みの中には身心を一定のやり方に従ってコントロールするという発想はあっても、身心の自ずからなる、ありのままの働きを自らが如実に観ずるという発想はなかったのではないかと思うからだ。

瞑想の場合は心を、苦行の場合は体を、あくまでも手段として用いて「無明的あり方」のままでは到底到達し得ないような聖なる状態を是が非でも実現しようという営みだと言えるだろう。

そこには当の心そのもの、体そのもの、そしてそうした二元論を超えた身心そのものの真実を探求しようという姿勢はない。

打坐が如実観察によって身心のありのままの姿を学ぶ姿勢であるのに対し、瞑想や苦行は心や体を利用し変化させて何かそこにないものを強いて作り出そうとする営みなのだ。

釈尊が放棄した瞑想·苦行と樹下の打坐との間にはそのような質的な違いがあったのである。

ところで、樹下に坐ったとき、釈尊のかたわらには既成のマニュアル(手引書)もなかったし特定の指導者もいなかった。

それ以前の瞑想や苦行を行なったときには、それまで長い時間をかけて蓄積され洗練されてきた精緻な行法のマニュアルやその体現者とされる指導者がいて、そこからの指示や指導に従うようにして、つまりすでに外側に存在していた従うべきやり方にそって修行していた。

しかし、樹下に打坐したときには、それとはまったく事情が異なっていたのだ。

つまり、このときの打坐は既定の方法に従ってなされたものではなかったといわなければならない。

とするならば、釈尊の樹下の打坐を自らの打坐とするべく参究工夫しなければならないわれわれとしては、坐禅の手引き書に書いてある通りに、あるいは指導者の指示通りに、意識で身体を動かして、脚を結跏に組み、手を法界定印に合わせ、眼を半眼にし、⋯と坐禅を「やって」いたのではいけないことになるのではないか?

それでは、樹下の打坐とは似て非なる別なことをしていることになるのではないか?

樹下の打坐が方法以前、あるいは方法以上のものであるとするなら、われわれはそれにどう取り組めばよいのだろう。

次回はこの問題を論じてみたい。

 

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋


 

《藤田一照 一口コメント》 

 

僕の勇み足かもしれないが、道元の説く坐禅には「人為的な方法を超える」という問題意識があるのではないかと思う。

人為的な方法である以上、そこには当然、向き不向きがある。

その方法が向いている人は上達が早く、そうでない人は遅い。

そして方法である以上、目的の達成が至上のものとなる。

方法は目的達成の手段として生み出されるからだ。