(前回の講義)

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aに蒲団を用ふ。

或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。

謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の(もも)の上に安じ、左の足を右の(もも)の上に安ず。

半跏趺坐は、但(ただ)左の足を以て右の(もも)を圧(お)すなり。寛(ゆる)く衣帯(えたい)を繋(か)けて、斉整(せいせい)ならしむべし。

次に、右の手を左の足の上に安(あん)じ、左の掌(たなごころ)を右の掌の上に安ず。

兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。

乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。

耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。

舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しんし)相(あい)著け、目は須らく常に開くべし。」

このように、脚の組み方、手の形、体幹の保持の仕方、口の様子、目のことが具体的に書かれています。

これに従って、身を象(かたど)っていくのが調身の営みですが、それをどのような態度で遂行していくのか(やり方ではなくあり方)ということについては何も書かれていません。

われわれが普通にやるようにトップダウン式に自分が体に命令するようにして、正しい姿勢として決められた外的な形に自分の体を合わせて作っていくような他律的な仕方ではなく、体で起きている感覚を手がかりにして内側から生成していくような自律的な仕方で調身すべきではないのか、というのが『現代坐禅講義』で主張したことでした。

「ただわが身をも心をも放ちわすれて、仏の家になげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆく」という『正法眼蔵 生死』に書かれているようなあり方、これをどう実践していくか、どう伝えていくかというのが僕のライフテーマの一つです。

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