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【坐禅講義58】第三講:坐禅のなかの動き② 体軸のゆらぎ 

 

さて、このような呼吸のリズムや心臓の拍動のリズムの存在は、誰でも知っていますし、少し注意すれば、それを自分や他人のからだにおいて視覚や聴覚、触覚を通して容易に観察することができます。


実は、からだのなかには、それらとは別な第三のリズムが波打っているのです。

「頭蓋仙骨律動」(英語の原名は「クレニオ・セイクラル・リズム Craniosacral rhythm」)と呼ばれるこのリズムに伴う動きについては、その存在自体がまだあまり一般には知られていません。

また、非常に微妙な動きですから、それを体感するためにはかなり鋭敏な感受性が必要とされます。

この動きはわれわれのからだの深部、つまり「芯」とでも言うべき脳-脊髄系から発し表層部へと伝わってくるもので、生きている人間のいのちのありようを考える上で極めて興味深い現象だとわたしは思っています。

ですから、坐禅を参究するにあたっても、もちろん貴重な材料を提供してくれるはずです。

「坐禅の中の動き」というテーマにおいては、触れない訳にはいかない問題です。

わたし自身は今のところ、この「頭蓋仙骨律動」に焦点を当てている理論と実技(「頭蓋仙骨療法 Craniosacral Therapy」と総称される)のごく初歩を学んだに過ぎないのですが、自分の理解した範囲でこの動きについてお話ししてみます。



昨今、日本でもようやく「頭蓋仙骨療法」のことが知られてきたようでその実践者の数も増えているようです。

アメリカでは「ボディ・ワーク」(からだに働きかけることで身心全体に癒しをもたらそうとする療法の総称。

指圧や鍼灸、カイロプラクティック、マッサージ、手当て療法など多種多様なテクニックがある)の一つとして注目されています。

この療法で中心的役割を果たすのが「頭蓋仙骨律動」(以下CSRと略記する)です。



このCSRは頭蓋骨が膨張-収縮したり、からだの左右の骨格が体軸を中心として外旋-内旋するという動きを通して間接的に感じとることができます。

いずれも極めて微細な動きですが、ある程度の訓練を積めば体表のどこに手をあてても感知できるようになります。

手のひら全体で体表にごく軽く触れ(5グラム圧といわれる)、このリズムが感じられるまでこころを澄ませて静かに注意深く待っているのです。

こういう触れ方はマジック・アイ的なので、普段のような押しつけがましい乱暴な触れ方と区別するために、わたしはマジック・タッチとよんだりしています。



はじめは呼吸のリズムや心拍のリズムも一緒に感じてしまうのでそれとの区別がつきにくいのですが、あせったり無理に感じとろうとむきになってはいけません。

呼吸運動はふつう安静時で一分間に14~20回、心臓の拍動は60~80回であるのに比べ、CSRは6~12回とゆっくりですし、その動きの質には特徴がありますから、慣れるにしたがってだんだん識別ができるようになってきます。

わたしがアメリカで参加した「頭蓋仙骨療法」の初心者レベルのワークショップでは二人でペアになり、相手のCSRを感じとる練習をしました。

あおむけに寝ているパートナーの足首や腰骨、肩、頭蓋骨などにそっと触れてCSRを感じるのです。

わたしの場合、自分だけではこれといった感覚がなかなかつかめませんでした。

先生に助けを求めると、「感じとろうとしすぎて手に力が入りすぎている」、「きっとこういう感触だろうという予測や先入観を捨てなさい」、「手の感受性を信じなさい」、というアドバイスを受けました(そこで言われたことはみんな当たっていました……。

それから彼女はわたしの手に自分の手を重ね、パートナーのCSRに同調した動きを少し誇張したかたちでわたしの手に伝えてくれたのです。

先生は徐々にその誇張の度合いを減らしていきます。

そのうちに「ああ、これかな?」という程度のある微妙な独特の動きの感覚を手で感じることができるようになりました。

生まれて初めて感じる、想像もしていなかったような動きでした。

さらに今度は自分の手だけでも、「ああ、これだ!」というはっきりした動きを捉えることができるようになりました。

呼吸とも拍動ともあきらかに違う独特の力強いリズムを自分の手で初めて鮮明に感じられたときは、その人のいのちの芯と自分とが繫がったような気がして深い感動を覚えました。



このCSRを作り出しているのは脳脊髄液の流動です。

脳-脊髄は頭蓋骨や脊椎に直接触れているのではなく、実は柔らかな袋状の膜(オタマジャクシのような形状をしている)につつまれています。

そしてその膜の内外を脳脊髄液と呼ばれる透明な液体が満たしています。

脳脊髄液は脳の深部のある器官から分泌され、脊髄の後ろ側を下って仙骨に至り、そこから脊髄の前側を上って脳に帰るという経路をたどって「還流」しています。

また脳脊髄液の分泌によって膜内の圧力が次第に上がりそれが一定値に達すると、分泌が止まり膜内の液が外に吸収され圧力が下がり、それが次第に一定値まで下がると再び分泌が始まるという具合に、ある一定の範囲内で膜内の圧力が増減を繰り返しているのです(この分泌-吸収には一サイクル5~8秒の時間がかかる)。

この膜内の圧力変化が膨張-収縮の動きを作り出し、CSRとして全身の骨格に伝わって、頭、顔、仙骨といった脳-脊髄の近くだけでなく、肩、肋骨、臀部、脚、腕などにおいてもCSRに同調した律動的な開閉の動きが現われます。

呼吸や脈拍はからだの運動やこころの緊張によって大きく影響をうけそのリズムが容易に変化しますが、CSRはそれらに比べてはるかに安定しています。

われわれのからだの深奥部では、密かにしかし着実にその人固有のいのちのリズムが刻まれているのです。

 

しかしもし、この脳脊髄液の還流と律動に滞りやアンバランスがあれば、脳-脊髄系に悪影響をおよぼし、知覚、運動、知的活動などにおいて様々な症状が現われます。

「頭蓋仙骨療法」とは一言でいえば、手でからだの適当な部分に軽く触れることによってCSRを感知して、脳脊髄液の還流と律動の状態(幅、強度、速度、対称性など)を診断し、いろいろな手技によってその滞りやアンバランスを解消し、それが正常な状態に戻るようにうながす働きかけです。

わたしがワークショップでこの療法の基本的なテクニックを施療してもらったときに感じたのは、からだのきわめて深いところで感じられるリラックス感覚とこころの安らぎでした。

唯識を勉強していたときに出てきた「軽安 きょうあん」(心身を軽快平安ならしめ善事をなさしめるこころのはらたき)という言葉の実質はこういうことかもしれないと思ったものです。



実はCSRのことを知る以前から、呼吸や心拍とはどうも異なるリズムでからだのいろいろな場所がゆっくり開閉しているような感覚をときおり感じていました。

このワークショップでCSRを手で感じとることができるようになって「ああ、これだったのか」と得心がいって以来、そういう感覚をよりクリアに体感できるようになりました。

たとえば、呼気と吸気とが入れ代わる間の時間(息を吸いきった直後の保息と吐ききった直後の止息の時間)には呼吸に伴う動きが一時的に止まってしまうので、CSRを特に感知しやすくなるということを発見しました。

「頭蓋仙骨療法」の効果によって、脳脊髄液が滞りなくスムーズに上下に還流し、CSRがからだの各部で左右、上下バランス良く表現されているような整った状態で坐ることができれば、ずっと容易に正身端坐にたどりつけるでしょう。

坐禅修行者には自分のからだやこころの不整や故障をよく知り、普段から調えて、正身端坐に相応するような「坐禅のための身心」を育てていく「たしなみ」というか「教養」が必要だと思います。

この点で、わたしはヨーガや気功、食養とならんで「頭蓋仙骨療法」が大いに役立つのではないかと思っています。

坐禅しているときに「頭蓋仙骨療法」のやり方で後頭部や仙骨部、肩や膝などに手で触れもらい、自分のCSRをその手からフィードバックしてもらうことで、姿勢のチェックや修正をすることはできないものでしょうか。

「頭蓋仙骨療法」の手は、外からからだのある部分をグッと押したり引いたりして第三者の観点から見て「良い」とされている姿勢へと「直そうとする手」ではありません。

それはCSRというからだの芯のところで生じている微細な律動の様子をありのままに「聞きとろうとする手」です。

こういう手で触れられていると、坐っている当人の身心は自分の中で気づかずに起きていることをその手からフィードバック的に教えられて、それに導かれてより良いバランスの方向に向かって自然に動いていこうとします。

まさに自発的な調律作用ですね。

これが第一人称の立場でなされる良い姿勢への修正の実際です。

外から他の人が他律的に直すのではなく、本人の内側から自律的に改善されていくのです。

坐禅を指導する立場にある人にはこういう「ただありのままを聞き取り、それを正確にフィードバックできる手」を育てていく必要があります。

そうでなければ坐相の指導を十分に行なうことは難しいでしょう。



また、正身端坐をねらって一定の時間坐り続けることで、結果的にCSRの質の向上がもたらされる可能性も大いに考えられるのではないでしょうか。

つまり坐禅中に「頭蓋仙骨療法」的なことが自然に起きているといえるかもしれないのです。

他の人に触れられることで自分のCSRをフィードバック的に感じることもできますが、必ずしも手で触れられなくても六根のうちの身根をマジック・アイ的に使うことによって自分のCSRを感じとることが可能なはずです。

自分のからだに自分のこころで「触れる」のです。

だとするなら、その感覚を手がかりとして意識下で全身の「頭蓋仙骨療法」的調整、調律が行なわれても不思議ではないでしょう。

もちろんそういう微妙な自律的調整作用を許すような身心の感受性や柔軟性が条件としてそこになければなりませんが……。

坐禅をすると、活力が向上する、自律神経系のバランスが回復する、血液循環がよくなる、胆力がついて落ち着きがでてくるなど古来、坐禅の医療的効果としてあげられている様々な生理的変化も、もしかしたら本人が気づかないうちに起きている「頭蓋仙骨療法的な自己調整」によるのかもしれません。

もっとも今言ったようなことは、わたしが単に想像しているだけにすぎませんので、真に受けないでください。


藤田一照著「現代坐禅講義」(P.310〜)より一部抜粋

 

《藤田一照 一口コメント》 

頭蓋仙骨律動を初めて感じられた時の驚きは相当なものでした。

なにせ、自分のからだの奥深い芯の部分に、それまで当人にはまったく知られないままで、「いのちの息づき」が実はずーっと前から、というより生を授かったときからいつも存在していたという事実がわかったからです。

心臓の鼓動や呼吸の運動はちょっと注意を向ければそんなに苦労しなくても気づくことができますし、学校でも習います。

しかし、頭蓋仙骨律動は繊細すぎて、慣れないとなかなか知覚できませんし、学校でも教えてくれませんでしたから、そんなことが起きていることは想像もしていませんでした。

このミステリアスな動きについての理解は、そのとき以降、あまり深まっていません。

もちろん、興味を失ったわけではまったくないのですが、どうやって深めていけばいいか、わからなかったからです。

手ほどきしてくれる人が現れなかったからです。

こういう感覚に関わる問題は本で読むだけでは、あるところから先にはいっていけません。



でも、このごろまた、関心が復活しつつあります。

日本に帰ってきて、このテーマで話せる人たちとのつながりがだんだんできてきたので、教えを乞える道が開けた感じがするからです。



調身といえば、ほとんどの場合、外側から見た形の話として語られます。

「背中がまっすぐで、いい姿勢ですね」とか「背中が丸いからその姿勢は良くない」とか。

しかし、それはあくまでも外部の人の印象にしかすぎません。

当人の体感に基づく正身端坐の基準がないものかとずっと思ってきました。

たとえば、呼吸の安らかさなどはそれに使えるのではないかと考えていました。

しかし、もっと精妙な基準になるかもしれないと思うのが、ここで論じている頭蓋仙骨律動のクオリティです。

今のところ、まだこれは単なる思いつきにすぎませんから、これからこの現象について理論的にも体験的にも理解を深めていかなければと思っています。

 

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