永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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アレクサンダー・テクニークからプライマリー・コントロールというコンセプトを学んだので、この観点から坐禅を見てみよう。

普段の生活ではプライマリー・コントロールによる全身の協調に支えられて、 われわれは手足を動かしたり舌を動かしたりして必要な動作や発話をしている。

これはプライマリー・ コントロールが背景(地)にしりぞいて、さまざまな動作や発話が前景(図)に出ている状態だと言えるだろう。

それに対して、坐禅ではそういう動きを一切止めて(「三業に仏印を標し」弁道話)、脚を組み、手を組み、唇を閉じて舌を安んじ、頭首背中を、安定はしているが硬直はしていない状態で、重力に対してまっすぐに立てている。

これは言うならば、動作や発話が消えて、プライマリー・コントロールが全面にフルに出ている状態である。

プライマリー・コントロールを丸出しにして表現している姿。

アレクサンダー的に言えば、賢明な生き方とは自己を上手に使うことである。

だとすれば坐禅はプライマリー・コントロールを最優先に働かせることを通して自己の上手な使い方に磨きをかけている(「磨塼」)ことだと言えないだろうか。


さて、アレクサンダーのもう一つの重要な発見は、誤用の原因に関する洞察である。

かれはそれを一言で「エンド・ゲイニング(end-gaining)」と呼んでいる(エンドは結果、ゲインは獲得、到達の意)。

これは「結果」にばかり意識が行ってしまい、現状とこれから起こるプロセスに対して注意がまったく向いていない状態を指す。

結果に気がはやって、現状を忘れ、自分の習慣的な反応でてっとり早く片付けてしまおうとする、われわれが往々にして陥りがちなありかたのことだ。

そこでは、なにが一番適した対処法なのかを考えることなく、目標さえ直接的に実現できればそれでいいとされている。

そこから誤用が引き起こされ、習慣として定着してしまうのだ。

感覚をじゅうぶんに働かせて状況を判断し、今の現状にあうやり方を新鮮に選んでいく余裕をもたないので、いつもの習慣的な誤用の発動という一つの選択肢しかなくなっている。

このような他に選択肢を持てない状態は仏教的にはまさに「無明」と呼んでもいいのではないだろうか? 


エンド・ゲイニングとはわれわれの用語で言えば「有所得心」に当たるコンセプトだ。

道元禅師は「仏 道は有所得心をもって修すべからず」(『学道用心集』)ということを強調されているが、自己の使い方を誤用から善用へと根本的に変えるために最も重要なことは、エンド・ゲイニングをやめることだというアレクサンダーの主張と軌を一にするところがあると思う。

坐禅の時に強調されている無所得無所悟というのは得るところがないとか悟りがないということを言っているというよりは、エンド・ゲイニングのモードになっている自己のままでは坐禅ができないという、態度に関しての教えと受け取るべきであろう。

有所得有所悟の心を手放さない限り、正身端坐も、鼻息微通も、思量箇不思量底(非思量) も、実際には現成しないようになっているからだ。

つまり坐禅とエンド・ゲイニングは共存できない関係にあるのだ。

意識的にエンド・ゲイニングの習慣や反応をやめていくプロセスのことをアレクサンダーは抑制 (inhibition)と呼んでいる。

これはとっさに反射的に動こうとすることに一時的にストップをかけ、感覚器官で受け取ったことをもとに状況を判断して、行動の可能性を考え、その中から自分で選択して行為を行うための間、スペースを生み出す作業だと言えるだろう。 


プライマリー・コントロールが働いているときにはからだのなかに明確な方向性(direction)があり、 アレクサンダー・テクニークでは抑制をしてから行動を始めるときにその方向性を感じ取りながら行動することを学ぶレッスンをする。

その方向性とは1首が自由である、2頭は脊椎との関係において、前へ、上へとバランスをとっている、3脊椎は長く、背中は広い、4膝は股関節から離れる方向へ、そし てお互いに離れている、という四つである。

ここで、注意すべきことはたとえば1は首を自由にするのではなく、首が自由であることを感じるということ、そして1の状態であれば2が感じられるはずだというふうに重要性に順番があるということだ。


アレクサンダー・テクニークの説明にずいぶん紙面を費やしてしまった。

もともとは、アッシュヴィル で受けたレッスンで学んだことを紹介するつもりで書き始めたのだが、それは次回に譲ることにしたい。

まずアレクサンダー・テクニークそのものについてある程度の理解を持ってもらってから、これからあとのわたしの論考を読んでいただきたいと思ったのである。

もっとも、非常に豊かな内容をもったアレクサンダー・テクニークを、それを少し「かじった」程度のわたしがうまくまとめることなどできな いのだが...。

参考までにいくつかの文献とウェッブサイトを挙げておく。

ジェレミー・チャンス『ひとりでできるアレクサンダー・テクニーク』(誠信書房) D.キャプラン『アレクサンダー・テクニークにできること』(誠信書房) 日本アレクサンダー・テクニーク協会(JATS)http://www.alextech.net/ (認定を受けた教師やレッスン情報、ワークショップ情報が得られる)

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋