【対談】桜井肖典×藤田一照②|前提条件を疑って、初期設定を保留する ー 術としてのアート
事務局 事務局
2017/11/19 07:00

【対談】桜井肖典×藤田一照②|前提条件を疑って、初期設定を保留する ー 術としてのアート

前編の桜井肖典さんとの対談では、「社会芸術家」として、どのような考え方を根本に据えて活動をされているのかを伺いました。活動を通じて桜井さんが着眼した「禅と芸術の共通」点の一つは、「既存の価値観をズラす」ことだと語ります。後編では、「禅と芸術」のさらなる共通点や、桜井さんの考える「芸術」について迫ります。

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1. 個の発露としての「GEIJUTSU(芸術)」


桜井 禅と近いと思うことのもう一つは、たとえば、僕が今やっている森の活動は、発案者は僕かもしれないけれど、表現者は僕ではない。子どもたちだったりとか、地域の人だったりとか、もしくは自然だったりする。もちろんそれが100年続いたらもはや僕はいない。これはある意味で「型」を作っているだけで、僕の「作家性」というものに依存していない。これまでの(海外から入ってきた)Artは、「個のソウルの発露」だと言われている。

一照 たとえば、「岡本太郎・作」とか、名前が作品につくわけだね。

桜井 だけど、ローマ字の「GEIJUTSU(げいじゅつ)」っていう、日本っぽいと思う取り組みを各分野でされている方は、僕も含めて作家性にはこだわっていない人が多いんです。一つのフレームややり方だけを作って、その中でその人たちがどう感じていくのか、その人たちの個の発露をすることの方を目的としていて。この考え方も僕はすごく日本的だなと思っていて。

一照 自分はあたかも触媒みたいな働きをすればいいわけか。そのままだと何も起こらないのだけれど、そこに触媒があると、常温でも化学反応が起こったりするみたいな。

桜井 たとえば、坐禅を毎日することで自分の変化に気づける。これを西洋的に「個の発露としてのArt」だと思うと、ほんとうはここにたくさんの感情が湧いていなければいけない。だけど、心を無くすことによって、それでもなお生まれてきてしまう感情に自分で気づくって、すごく日本的なアプローチだと思う。こういうようなアプローチをもった「芸術」の「術(すべ)」に、ビジネスもArtも、教育も、それぞれ全部クオリティを変えていく作業ができる。やらないと、このままいくとまずいなというか、つまらない社会になってしまう。「もったいない」社会になってしまう、ということを思っています。

一照 今の話しを聞いていると、文字通りの「社会変革者」みたいな感じがするね。そんな考え方が蔓延していったら、いろんなところが変わらざるを得ないという感じがするけど。今表現しているような考え方には、いつ頃到達しているのですか?最近の話?

桜井 一照さんと出会ってから。

一照 ほんとうですか?この3年くらい?

桜井 ほんとうにありがたい話しです。いろいろ言葉をいただいています。

一照 僕はそんなつもりは全然ないですけれどね。桜井さん自身の中に既に、僕の言葉で触発されるような何かそういう材料があったということだね、僕は単なるきっかけでしかなくて。「青虫本(※1)」にも書いてあったけれど、今までいろんな挫折とかを経てきているというのが火種みたいに既にあって、僕が何か言ったことが、マッチみたいな感じでそっちに火がついた、みたいな感じなんだね?

桜井 長い単位で少しずつ、自分が人の役に立てることを蓄えてきた中にあるのが、まずはデザインで、デザインを用いてビジネスを起こすということとか。





2. 初期設定を保留する


一照 デザインって、こういった机とかのデザインのこと?

桜井 はい。デザイン、そしてビジネスときて、青虫本にも書いてあった内藤正明先生という環境の先生から価値観をガラっと変えていただいたタイミングで「サステナビリティ」に出会って。「クリエイティビティ」「ビジネス」「サステナビリティ」という3つの分野の交わるところで、人の役に立てると思うようになった。そのなかで、具体的に役に立つ方法、そして最も重要な方法は、立脚点を変えるということ。立脚点が変わらないと商品も、企業も、地域も、世の中も変われないので、立脚点を変えながらデザインし直すという方法として辿りついたのが、禅とArtだったんです。

桜井 この間、鷲田(わしだ)さんにそれをぶつけてみたんです。

一照 鷲田清一さんね。大阪大学の学長だった人で哲学者の。知り合いなんですか?

桜井 たまたま京都市との取り組みで、インタビューさせていただく機会があったので。僕が思っている「社会芸術」というのは、鷲田さんの「臨床哲学」とすごく近いものがあると思うんです。「臨床芸術」と言い換えてもいい。じゃあ「臨床芸術」って何なのと聞かれたから、たとえば普通はデザイナーが地域に行って、「農業を活性化してくれ」と言われたら、そのままデザインを始めちゃうんです。農業を良くするという目的があるから。けれど、芸術という作業は目的を一旦疑うので。「『農業』でいいのか?とか、『農』ではダメなのか?『業』は必要ないのではないか?、といったことからやるのが芸術家の作業で」という話を鷲田さんにしたら、「それなら分かる」という話しになって。

一照 哲学はそういうところがあるからね。みんながやってる議論のその先に行くのではなくて、議論の手前というか、議論自体が意味がある議論になっているのかとか、皆が話しの中で分かったかのように暗黙の前提をもっていて、そこから話しを進めているのだけれど、実はいちばん大事な、問題にしていること自体があやしかったり、吟味されていなかったのではないかという問題の立て方をする。まずは前提から疑ってみる、そこをやるのが哲学だっていう話だからね。哲学が始まるところというのが、僕らの普通の議論とは逆方向に向いているからね。

桜井 鷲田さんがスパッと言ってくださったのは、芸術というのは、「その場の初期設定を、カギカッコ付きで保留するんだ」って言ってくれたんですよ。素敵な言葉だなぁって思って。しかも、芸術の素晴らしいところは、「ただ壊したり保留したりするだけではなくて、そこからおもむろに戯れだして、新しいことを編み出すことができるのが芸術だよね」という話しもしてくださって。
一照 そりゃ、桜井さんの中にある燃えちゃう燃料に、でかいマッチをバッてつけられたみたいな感じだね。

桜井 すごいことを言ってくださったと思って。そのような作業をしたうえで、初めてデザインが必要になる、ということなんです。

一照 そこからデザインが始まるんだね。

桜井 そういうことをやらないと、結局、アインシュタインが言っているみたいに「同じプロセスを通ったって、同じ結果しか出ない」ので。たとえば、今地域が疲弊しているなら、疲弊している構造のままで新しいことをしてもしょうがない。

一照 頑張れば頑張るほど余計に疲弊する。

桜井 地球を壊す構造の中でビジネスをしてもしょうがないという、そこの部分を疑うことが少ないので。今必要なのは、現場で発揮できる芸術的アプローチだと思っていて。その「芸術」という言葉もArt的ではダメで、それだと「小さな個になる」。オールドパラダイムの話じゃないですか。日本人にもともとある個は、もっと全体との関係性の中の個だろうし、「魂の発露」というArtの「魂」にしても、「ここにも魂がある、ここにも」と樹でも石でも魂が宿るというのがおそらく日本人にとっての魂で、その発想の上にたつ芸術観で現場を「芸術する」ところから始めるということをやらないと、近代化を繰り返すというか、延命するだけになってしまうから。それは一照さんのいう「分離」の世界が続くことだし。そうではないアプローチを、いろんな分野にアプリケートするみたいなことをしています。

一照 それは、まったく前例がないから、ゼロから手探りだよね?

桜井 手探りです。だって、教科書がないから。




 

3. 動詞としての芸術


桜井 そういう芸術っていうものを広げるっていうことは、今一番やりたいことで。なぜそれを芸術って言いたいかっていうと、子供達が芸術家を特別なものだと思って欲しくないからで。

一照 絵が上手いとか、音楽が才能あるとかってね。

桜井 そうそう。芸術するっていうことが、たとえば勉強するとか、分析するとかと同じように、「芸術する」って言われるようなものになればいいなと思って。

一照 名じゃなくてあくまでも動詞としてね。僕が「仏教は名詞じゃなくて、仏教するという動詞」だって言ってるのと同じだね。

桜井 そうそう。それには、ちゃんと伝えなくっちゃいけない。それと、「芸術する」ってことは、ハートとソウルとマインドを全部使う作業だと思うから。それこそ…

一照 そこも僕の言う「仏教する」と同じだ。ハートもマインドもソウルも、ボディもみんな総動員して、する。

桜井 そう、「仏教する」と一緒だと思うんですよね。だから、そういうところも「芸術する」って言った方が、禅はできないけれど「芸術する」っていうアプローチなら動かせる人もいるんじゃないかなっていうことも考える。

一照 あ〜、なんて面白いんだろう。

桜井 このように考えるようになったのも、一照さんと活動をしてからですね。

一照 ごちゃごちゃ面倒臭いことが起こるっていうね。「宗教とかって言うと何となく抵抗が…」、って言うような。だから、「芸術する」って新しいコンセプトっていうか、動詞を作ればいいわけだな。こうなったら思い切って、新造語を作っちゃえばいい。

桜井 そうそう。それはやっぱり、一照さんとの何年間かの時間がなければ、「芸術とはハートやマインドやソウルという心と呼ばれる全部を動かす作業」だなんて思えなかったから。絶対に。

一照 そういう考えで聞かれていたわけね。僕の話がね。

桜井 そうです。

一照 なるほどなぁ。そういう聞き方もあるわけなんだ。

桜井 三つそろって動けたら、おそらく目的とか成果なんて関係ないと思うんですよね。動けちゃう。

一照 うんうん。内的な促しのままに遊んでいく。

桜井 目的のない作業が芸術の特徴だったりするんで。

一照 目的が最初にあって、それに近づけていくんでなくって、後から目的が…

桜井 見えてくる。

一照 みたいなのがあるよねぇ。う〜ん、なるほど。

桜井 目的を外すのが禅だと思うんで。




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議論の前提を疑う。桜井さんはこれを、「初期設定を保留する」という言葉で紹介してくださいました。こうした態度があって初めてデザインが必要とされる、と言います。
前提条件という「初期設定」は、私たちの生き方にも無意識に大きく影響を及ぼしているのではないでしょうか。

今回の対談のメインテーマであった「生き方」や「初期設定」をテーマに、桜井さんをゲストにお迎えしたトークイベントを開催いたします。


「人生の初期設定~「わたしたちの生き方」の話をしよう~」
・開催日:2017年12月2日(日)18:30〜(受付18:00〜)
・開催場所:亀戸文化センター
お申込みはこちら:
http://peatix.com/event/315059

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前の記事…【対談①】桜井肖典×藤田一照|社会芸術家ークオリティーを変える芸術とは?
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※1青虫本:『青虫は一度溶けて蝶になる~私・世界・人生のパラダイムシフト~』藤田 一照 、桜井 肖典、小出 遥子著

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桜井 肖典

一般社団法人リリース|http://release.world/


藤田 一照

公式サイト|http://fujitaissho.info

オンライン禅コミュニティ「磨塼寺」|https://masenji.com/


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