【坐禅講義37】第ニ講:坐相降臨
藤田 一照 藤田 一照
2017/11/17 07:06

【坐禅講義37】第ニ講:坐相降臨

さてそろそろ講義を締めくくらなければならない時間になりましたが最後に、いかにも正身端坐の坐禅にふさわしいエピソードを紹介して、みなさんが正身端坐について考える糧にしていただければと思います。

澤木興道老師の弟子の一人である横山祖道老師が出家する前の二八歳のころ、山で一人坐禅をしていたら、突然キジが眼の前に出てきて自分の坐禅をじっとにらんだという出来事がありました。横山老師はこの出来事を「雉子体験」と呼んで、それによって只管打坐の何たるかを直感されたといいます。

老師はこの体験を後年次のように書かれています。「私、『坐禅は人間ではない』をその昔、故里みちのくの山の雉子に教わったのである。……まだ在家のころ、夏近き日、下駄がけで山遊びにゆき、山で坐禅をしていたら、雉子が出てきて首をしかと立て、物すごく坐禅をにらんだのである。それは一羽の羽の長い雉子(きじ)である。雉子の顔は凄いな、雉子は坐禅を人間とは思わないのだな、石地蔵と思っているのか、昨日までここにこんなもの(坐禅)無かったのに一体これは什麼(何)だろう。坐禅をしている私は雉子を見ていないのである。しかし雉子は私の視界にいるのである。私は瞳を動かさず坐禅していたのである。若しひとみを動かしたら雉子は逃げるであろうと思って。……若し私がただ山に『立って』いるとしたら、雉子は私を『にらむ』だろうか、いやいや、いち早く逃げるに異いない。坐禅なればこそ、こまかいかすりの着物に、ちりめんの兵児帯(へこおび)をして下駄を坐布として―坐布は下駄でも坐禅なればこそ雉子がすぐ前にきて坐禅をにらんだのである。……故里乃山の雉子にその昔 わがおそわりし坐相みほとけ」(横山祖道著 柴田誠光編 『普勧坐相みほとけ』大法輪閣)

実は、横山老師の師である澤木興道老師も若いときに同じような体験をされているのです。まだ正式に得度する前の小僧時代に(一七歳ころ)、ある寺での法要に手伝いに出され、それが終わって時間が空いたときに部屋で一人、習ったばかりの坐禅をやっていました。そこへ今まで自分をさんざんこきつかっていたおばあさんがやってきて、何も知らずに襖をガラッとあけたらそこで小僧が坐禅をしているのを見つけました。このおばあさんはびっくり仰天して思わず「南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏」と本尊さまより丁寧に合掌して坐禅している老師を拝んだというのです。当時の老師は、学問も何にもしていませんから坐禅がどんなことかもわからないで、ただ言われた通りに一生懸命坐っていただけでした。それなのに、普段自分を小僧扱いしているおばあさんが自分の坐禅している姿を仏さまのように拝んだのです。坐禅のかたちの尊さと不思議さ、この出来事が坐禅に対する自分の信仰にとって決定的な体験の一つになったと澤木老師は述懐されています。

坐禅に一生をささげたこの二人は期せずして、本人の意識を超えた坐禅のかたち(坐相)の厳粛さを直覚するような体験をされているわけです。そして二人とも声を和してこう断言しています。「仏道とは坐相が仏であるということを信ずるものである。非思量、無念無想も坐相が非思量、無念無想なのである。坐禅して自分が仏になったり、非思量、無念無想になったりするわけではない。自分はなりっこない。坐禅して、坐禅のかたちが仏、非思量、無念無想であることを信じるのである。只管打坐とは坐相にのみ用事のある坐禅のことである。坐禅は人間として最上最高の姿である」と。

横山老師の坐相に対する信仰はさらに深まって「坐相降臨」という表現にまで行き着きます。「坐禅と宇宙は合同である。坐相は宇宙そのものが、我はかくのごときものであるといって、人の坐相となって雪山のほとりに天下ってきたものである。つまり坐相降臨。自分が坐禅しているという思いが先立っているけれども、実はそうではなく宇宙そのものが坐禅しているのだ」。

こういう理解で行なわれる坐禅はもはや、個人が自分の能力で行なう個人技の域をはるかに超えた広がりを持ったものと言わなければなりません。正身端坐というテーマで坐禅についていろいろ話してきましたが、自分で坐っているのではない、宇宙が坐っているのだという話になってきました。これは次の講義のテーマになりますので、今回はここで終わりとさせていただきます。藤田一照著「現代坐禅講義」より一部抜粋

 
 
《藤田一照 一口コメント》
僕が生きてお目にかかりたかった人物を強いて三人だけ挙げるとすれば、昭和の人では、野口整体の野口晴哉(のぐちはるちか)(1911~1976)、合気道創始者の植芝盛平(1883~1969)、曹洞宗の禅僧である澤木興道(1880年~1965)、になるでしょうか?彼らは、僕がずっと関心を持っている三つの分野、つまり治療、武術、禅の分野の「巨人」クラスの三人です。お三方とも、僕が産まれた1954年にはご存命でしたから、うまくいけば生きている姿を拝見することができた可能性がありますが、残念ながらそれは果たせませんでした。まことに惜しい感じがします。でも、この三人に直接教えを受けた人たちから直接教えを受けたり、直に見聞した逸話を伺ったりすることはできました。それももって良しとするしかありません。

実は上記の文章に出てくる横山祖道師(1907~1980)には、一度お会いしたことがありました。それは、僕がひょんなことから禅に関わるようになる前年の1979年のことでした。今から思い返すと、あれは禅の世界に飛び込む前触れのようなものだったのかもしれませんが、その時の僕にはそんなことを想像することさえできませんでした。当時僕は、大学院で自主的な発達理論研究会を主宰しており、その年は恒例の夏合宿を長野・小諸でやることにしました。十名ほどの仲間たちと小諸駅に集合した後、まだ時間があったので藤村の詩で有名な小諸城址懐古園を尋ねました。仲間と懐古園の中を歩いていたら、今でいうホームレスっぽい風情の老人が、七輪を前に、えらく姿勢のいい姿で坐っていました。「おい、ありゃなんだ?」「さあ、お乞食さんじゃないの?」「それにしては、ずいぶん姿勢がいいよな」などとうわさしながら遠巻きに見ていると、その人はこちらの方を向いて、そばの樹から葉っぱを一枚取って口に当て、何やら音楽っぽいメロディをピーピーと奏でだしました。「ずいぶん風流な乞食がいるもんだなあ」と変な感心をしながら、われわれはそこを立ち去りました。

その合宿から戻って、しばらくしてから、定期的に通っていた野口体操教室で、レッスンの後に仲のいい稽古仲間たちと雑談中、妙に印象に残っていた懐古園のお乞食さんのことを何の気なしに話題にしました。すると、稽古仲間の一人だったおばさん(当時僕は25才)がびっくりした様子で、「藤田さん、それはお乞食さんじゃなくて、禅宗のお坊さんよ。横山祖道さんといって、澤木興道という有名なお坊さんのお弟子さんで、草笛禅師ってあだ名がついている方なのよ。」と教えてくれました。そして、「実は私の親戚筋のおじいちゃんが、その方のことをいろいろサポートしているので知っているのよ」と言うのです。僕は、そのつながりに驚き「なるほど、あの人は坐禅をしていたんだな。来年も小諸に行くから、今度は話しかけてみよう」と思ったのでした。

翌年、同じ研究会の合宿で懐古園を訪ねた時には、その人はいませんでした。後に安泰寺に入山してから、僕が見かけた年の暮れに肺炎をこじらせて遷化(せんげ)されていたことを知りました。僕が見かけてからわずか数か月後のことです。どういう仏縁かわかりませんが、その年から3年後には、思いもよらないことでしたが、一度だけその姿を見た祖道老師ゆかりの安泰寺に入山することになっただけではなく、野口体操仲間のおばさんがいった「私の親戚筋のおじいちゃん」にも直接出会い、親しくなり、僕もその方にずいぶんお世話になるということまで起きたのでした。その人に宛てて祖道老師が書いたお礼の手紙の束は、その人の形見として僕のところにやって来ました。亡くなる少し前に祖道老師の坐禅する姿を直に見ることができたのは幸いと言うしかありません。仏縁と言うのはほんとうに不思議です。

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【坐禅講義36】第ニ講:坐相の深まりのために

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