(前回の講義)

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今回の購読箇所は「古聖(こしょう)、既に然り。今人(こんじん)盍(なん)ぞ辦ぜざる。所以(ゆえ)に須(すべか)らく言(こと)を尋ね語を逐ふの解行(げぎょう)を休すべし。須らく囘光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし。」です。

ここで「古聖」と言われているのは、前回の箇所で、坐禅の系譜における最高の実例、実物見本としてあげられていた釈尊と達磨のことを指します。

そういうような本物の坐禅人であった方達でさえそうなのだから、今のわれわれはなおさら修行しないわけにはいかないじゃないかと励ましているのです。

道元はしばしば、過去の優れた先人の事跡を振り返って自己を奮い立たせる、あるいは反省することべきだということを言います。

 

「言を尋ね語を逐ふの解行」というのは、観念や概念を追いかけることに終始する理論の解釈や理屈の追求のことで、そういうことはやめなさいと言います。

坐禅とは身心の使い方がまったく違うからです。

坐禅は、尋ねたり逐ったりという、外に向かって手を伸ばして何かをゲットしようとする営みではなく、その逆のことだからです。

そういう態度がズバリ「回向返照の退歩」と表現されています。

進歩ではなく退歩だというところが重要です。