【イベントレポート】10/24(火) 藤田一照×稲葉俊郎トークライブ「禅から観るいのち・家族~関係性のネットワークとは?~」
Naomi Ishida Naomi Ishida
2017/10/25 13:53

【イベントレポート】10/24(火) 藤田一照×稲葉俊郎トークライブ「禅から観るいのち・家族~関係性のネットワークとは?~」

10月24日(火)19:30から、代官山にて 「禅から観るいのち・家族~関係性のネットワークとは?~」と称した磨塼寺主催イベントを開催いたしました。

第一弾目となる公開イベントで、6月に一照さんが対談した医師の稲葉俊郎さんをゲストにお迎えしました。家族」「性」「いのち」など、これまで仏教が積極的に触れてこなかったテーマについて両者が大胆に迫り、30分予定のフリートークが盛り上がりすぎ、1時間近くまで延びるほど。互いに独自の切り口や観点で、頭と体の両方で「わかる」と感じた密な時間でした。

 

 

■"I'm OK and you're OK"のコミュニケーション

まずは、稲葉さんによるアイスブレイクから。二人組でペアになって、一方が次の3つの態度を順にとります。

"I'm OK but you're not OK."(私はOK、あなたはOKじゃない)
"I'm not OK but you're OK."(私はOKじゃない、あなたもOKじゃない)
"I'm OK and you're OK."(私はOK、あなたもOK)

もう一方は、ただ相手の態度を見て自分がどう感じるかをみます。ジェスチャーの間、言葉は一切交わしません。しかも、会って間もない知らない者同士で行ないます。最初の2つは、どことなく重い空気が流れていました。。

 

その後互いに感じたことをシェア。言葉は一言も発していないのに、それぞれ感じたことや読み取ったことがたくさんあったようで、会場の場が一気に湧き上がります。参加者の感想で、「3つそれぞれ明らかに態度が変わった」「胸を張ったり、見下したり、無意識に相手の姿勢が変わっていた」というような声がありました。

 

稲葉さんによるアイスブレイクは、「無意識なコミュニケーション」が取り交わされていることを身をもって感じる体験でした。日常のコミュニケーションにおいて、言葉ではOKとか良いことを言っていても、心ではそう思っていないということは多くの人にとって思い当たることだと思います。アイスブレイクではまさにそのズレに気付かされ、言葉でのごまかしは一切きかない、頭と言葉の裏腹さをダイレクト感じる体験でした。「頭の体験と体の体験は、質が全く異なる」、と稲葉さんは言います。

また、「私はOKだけどあなたはOKではない」という態度は自分の弱さの裏返しであり、それにより一時の成功体験という誤った学習をする傾向があるが、結果的にコミュニケーションは失敗するのでは、と鋭く指摘します。

そこには、稲葉さんの病弱だった幼少期時代の体験が根本にあり、幼少期ながら「人間はかわいそうではないと決めた」、という人生の分岐点になった経験があったそうです。(たしか、4歳ぐらいの時にその覚悟をされたと言っていました。。)

今年第一子を授かった稲葉さんは、実際にご自身の赤ちゃんを見ることで、「必死にいのちを生きているという視点では、赤ちゃんも大人も対等である、むしろ大人の方が必死に生きていないのでは」、と言っており非常に印象的でした。

能や仏教に親しく、伝統芸能や禅の世界においても、いかに立てないか、座れないか、を体感されているようで、なぜその「型」ができたのか、という体の根本を見直す必要があるとも言っていました。

アイスブレイクの時点で、すでにメインコンテンツのような充実度です。。

 

■仏教的関係論ードーナツの穴理論

型の話から、坐禅や仏教へと話しは展開していきます。

一照さんは、「坐禅は床とのつながりがあり、呼吸は体内と体外を結んでいる。こうしたつながりの観点でみると、人間は膜を介して大きなつながりの中に存在していて、はじめにつながりありきである」と言います。

「つながりありき」とは仏教が深めてきた関係論であると言い、「ドーナツの穴」の例が出ました。

ドーナツの穴とは、それだけで売ることが出来ないように、ドーナツの穴だけでは「実体」として存在しません。ドーナツの輪っかの縁があるから、ドーナツの穴は存在します。それは、ドーナツの輪っかとの「関係性」があって穴が存在するという、関係論的な捉え方です。

たとえば丹田を探すということがありますが、東洋的な考え方では、丹田そのものが存在しているのではなく、へそから指3本ぐらい下のどこか、ここらへん、に存在を感じます。実体としてはかなり曖昧な捉え方です。

 

 

■立ち上がってくる「あわひ(間)」

一照さんは、このどこかここらへんを「あわひ(間)」と表現します。それは、自分が実体的にあると思っているところのことで、ドーナツの穴のように、実体を捉えることとは異なる観点です。そして、この「あわひ」とは自分で見つけにいくのではなく、あると思っているどこかから「立ち上がってくる」ものだと言います。

「言葉」というのも、実体化する力があるため実体論であると言います。たとえばマインドフルネスにおいて、どこかにターゲットを決めて注意を向ける方法がありますが、あわひ的なインストラクションでないと、ただ思い込みを合理化することになると言います。たしかに、合理化では頭は理解できても、体がわかるという感覚を置いてきぼりにしてしまいそうな、自分と世界の関係性を切り離した感覚があります。

ドーナツの穴という、本当はなにもないところに優しい感覚を向けることで、ないと思っていた所になにかが立ち上がってくる。こうした直接的ではないアプローチは、坐禅だけではなく、仕事や人間関係、日常生活など、条件を問わずにいつ何時でも備えられる観点だと思います。

6月の対談で稲葉さんが、「日常生活で芸術性や創造性を見立てることで、日常が美に変容する」と仰っていて、こうした関係論的な捉え方は、日常が充実し、豊かになる観点でもあると思います。

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【対談】稲葉俊郎✕藤田一照②|新しい価値観の創出・問題解決〜ビジネスにおける仏教の可能性〜
https://masenji.com/contents/118
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■他者と関係性を見立てる

全ては書ききれませんが、話は盛り上がり、30分予定のフリートークが1時間近く経っていました。時間の関係で短縮しましたが、つながりの発見を「6度のワーク」と称して行いました。全ての人や物は6ステップ以内で全てつながっているという仮設があり、お互いの共通点を探し合うというワークです。5-6人のグループになって、それぞれ自由に質問し合って探っていきました。

わずかな時間でしたが、出身地が近所だったとか、左利きの手の使い方など、いくつかの共通点が見つかったようで、さらに場が盛り上がっていました。


こうした共通点探しは誰もが日常で行っていることで、稲葉さんは、「人はだれかつながりたいという欲求を根本にもっていて、好きな人であれば無理矢理にでも共通点を探そうとする」といいます。本当にその通りですね。こうした人間関係のつながりとは、自分がどう意味づけするかであって、掘り下げれば必ず何かがつながり合っているのだと思います。実際、特定の共通テーマが見つからなくても、空間や呼吸、感情などで私たちはいつも誰かとつながっています。

 

「禅から観るいのち・家族~関係性のネットワークとは?~」と 称した今回のイベント。全てのテーマについてここでは触れられないですが、関係性について新しい観点がもたらされただけでなく、私たちは関係性のネットワークの中に存在している、ということをさらに認識しました。磨塼寺会員の皆さんも多くご参加されていましたが、どのように感じられたでしょうか?

公開済みの対談記事と合わせて読むと、さらに深まりが増すかと思います。すでにお読みになった方も、新たな視点で読むと、新しい観点がもたらされるかもしれないので改めてお愉しみいただければと思います。


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【対談】稲葉俊郎✕藤田一照①|縁起のネットワーク〜関係性とは自分で発見しにいくもの

【対談】稲葉俊郎✕藤田一照②|新しい価値観の創出・問題解決〜ビジネスにおける仏教の可能性〜
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