(前回の講義)

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今回は「舌はかみの顎(あぎと)にかくべし。息は鼻より通ずべし。くちびる・歯あひつくべし。目は開すべし、不張・不微なるべし。」のところについて話します。

正身端坐というキーワードで表される「調身」に含まれるインストラクションですね。

正身端坐というのは、全身にわたる微調整ではじめて成立し得る精妙な静止の運動だというのが僕の理解です。

揺れ動くスラックラインの上に立って、ゆっくり静かに歩いていくという綱渡りのような遊びに通じるものがあります。

前回は、体幹についての教示でしたが、ここでは、「舌」「呼吸」「口」「目」といった頭部の細かい点についての教示が書かれています。

かみの顎というのは、「上のあご」ということですが、舌は上顎の歯の付け根のあたりに触れているということです。

この点に関しては、ときどき「押し付ける」というような解説を見かけますが、それは「やり過ぎ」ではないかと思います。

別にそういう努力をするというのではなく、正身端坐して体軸が脊椎、首、頭を正しくつなぎ、顎が自然に引かれていれば、結果的に舌が上顎に付いている、という理解がいいのではないでしょうか。

また、正身端坐して、体がゆったりくつろいでいれば、息は自然に鼻から出入りします。

「通」という漢字には、「滞りなく流れる」という意味が暗に含まれています。

口は軽く閉じますが、顎関節はリラックスさせておきます。

口もくつろがせておくと自然に歯と軽くくっつきます。

歯は噛みしめません。

目もリラックスさせたままそっと開いておきます。

何かを見つめたりせず、また目玉をキョロキョロ動かさず、視界を均等に眺める感じで、やってくる視覚情報を取りにいこうとせず、そのまま迎えいれます。

坐禅指導でよく言われる「半眼」などということは、ここには一字も書かれていません。

わざわざ「半眼」を作ったりする人が出てくるので誤解の元です。

「目は開くべし」だけなのです。

ただ、不張(目を見張らない)・不微(目を細めない)、であるようにという注意書きがあります。

目に関しても「中道」なんですね。

顔は、自分のアイデンティティと密接な関係のある場所です。

世間に対して自分を露出させている場所でもありますから、どうしても慢性的な緊張や不自然さ(取り繕い)を抱えています。

坐禅は、そういう対社会的なマスクを外し、素顔(本来の面目)にもどる時なのだということです。

 



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