【坐禅講義34】第ニ講:体軸と重力の関係
藤田 一照 藤田 一照
2017/10/28 07:22

【坐禅講義34】第ニ講:体軸と重力の関係

正身端坐という場合、その「正しさ」に関して道元禅師がどのように言っているかを見てみましょう。『正法眼蔵 坐禅儀』には「正身端坐すべし。ひだりへそばだち、みぎへかたぶき、まへにくぐまり、うしろへあふのくことなかれ。必ず耳と肩と対し、鼻と臍(へそ)と対すべし」とあります。この記述は、正しい坐相においては、①前後左右いずれにも傾かず、からだの中心軸(体軸)が重力の方向と一致していること、②側面から見てもまた正面から見ても頭部と胴体とがまっすぐそろった位置に保たれていること、と解釈することができるでしょう。この二点が正しい坐相の基本的条件として、また最も重要なポイントとして押えられているわけです。

地球に存在する全てのものは、絶えず重力によって地球の中心へと引っ張られています。ですから、地球に誕生した全ての生命は、様々な仕方で重力と折り合いをつけながら生存していかなければなりません。長い長い進化の過程を経て、われわれ人類は直立姿勢(体幹を垂直方向に立てる姿勢)を獲得しました。この姿勢はよく「抗重力姿勢」と言われていますが、確かに下方に向かって引っ張る重力に逆らってからだを上方へと向かって毅然として立てようとする姿勢です。ですから、そこに人間独自の「自主性と意志力」がなければこの姿勢は成立しません。その証拠に自主性と意志力が一時的にスイッチオフになる睡眠時には、横にならなければなりませんし、病気や疲労のせいで気力が減退してくるとからだを直立に保つことが極めて困難になります。坐禅の持っている意義も、こうした生命と重力との関係の歴史という壮大な文脈の中で考えてみる必要があるように思います。

それはともかくとして、道元禅師のこの記述の仕方から、正身端坐と言うときの「正身」の内実として、何よりも姿勢と重力とが適正な関係にあるかどうかということに注目すべきであるということが示唆されます。言い換えれば、からだと地球の中心とが一番安定した繫がり方をしているかどうかということが最も重要なことの一つなのです。

体軸が重力の方向に正しく一致している姿勢、つまり正身端坐の坐相は一面から見れば確かに重力に抗って上へと向かおうとする姿勢ですが、それは同時に重力に最も素直に従っている姿勢でもあることを見落としてはなりません。体軸が重力の方向と一致していない場合、つまりいずれかの方向に傾いている場合には、重力に引っ張られて倒れてしまわないようにするためにどこかの筋肉を緊張させてからだを支えていなければなりません。これではまさに、自分を倒そうとする重力と倒れまいとする自分との絶えざる戦いになります。それに対してからだの各部が重力の方向に沿って正しく統合されていれば、体重は堅固な骨格のバランスによって支えられるので、余計な筋肉の緊張は必要でなくなり、重力にからだをまるごとゆだねることができるようになります。こういう状態では、重力はもはや、自分のからだの各部分をばらばらに崩してしまおうとする戦うべき敵ではなく、むしろ自分のからだの各部分を一つにまとめてくれる頼り甲斐のあるパートナーになるのです。こちら側のあり方次第で、関係の持ち方次第で、同じ重力が敵にも味方にもなり得るというのは面白いことですね。

ウンウンと気張って筋肉を緊張させ、からだをガチガチに固くこわばらせて突っ張るようにして坐り、重力と闘争しているようなあり方でもなく、だらしなくグンニャリと弛緩した腰抜け、腰砕けで坐り、重力に屈服したようなあり方でもない、重力とのあいだにまさにそういった二辺(二つの極端)を離れた中道的あり方を実現しているのが正身端坐だと言えるでしょう。正しい坐相というのは「重力に抗ってもいけない。かといって重力に負けてもいけない。さあ、おまえはどうするんだ!?」とわれわれに向かって突きつけられた、いわば「身体的公案」への解答なのです。坐禅は重力とのダンスだという言い方もできるかもしれません。問題は、どれほどうまい踊り手になるか、どれほどそれを楽しめるか、ということになります。

藤田一照著「現代坐禅講義」より一部抜粋
 
 
《藤田一照 一口コメント》
今の僕の坐禅に対する考え方は、坐禅を始める前に熱心に学んでいた野口体操の影響を多く受けていますが、その創始者である野口三千三先生は「重さに貞(き)く」とか「重さは思さ」といった重力やからだの重さをとても大事にするからだ観、動き観を深めておられました。坐禅は重力とのダンスであるなどという言い方は、野口体操の経験がなければ出てこない発想です。重さについての野口三千三先生の語録の一つに「動きのエネルギーは、重さにおけるバランスの崩れである。落ちる動き(地球の中心に近づく鉛直方向の動き)がすべての動きの基本である。地球上の多様な動きは、この落ちる動き(鉛直方向の動き)に何かの条件が加わることによっておこる落ち方の変化としての現象である」というのがあります。

こういう考え方から、坐禅を見ると、正身端坐というのは重さにおけるバランスが釣り合っているので、動きが起きないでいる状態」だということができます。体重の落ちる方向がぴったり鉛直方向に重なっているので、その反作用として床からもらう上向きの力と完全に拮抗しているので、動きが生じないのです。決してそこに力が働いていないわけではないのです。そこにずれ、崩れが生じたときには、倒れる動きが生まれますから、倒れないように筋肉が緊張する力でそれを食い止めなければなりません。この食い止めの努力を最小限にする工夫が正身端坐の努力の内実になります。それは、自分の中だけの閉じた営みではなく、床、重力、からだの間の精妙なコミュニケーションを必須とする開かれた営みでなければなりません。
 
 
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