永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

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坐禅における呼吸の問題を考える上でわたしがしばしば参考にしている本がある。

Donna Farhi(一九六〇年アメリカ生まれ。

現在ニュージーランド在住)さんの書いたThe Breathing Book: Good Health and Vitality Through Essential Breath Work(『ブリージング・ブック―根本的なブレス・ワークによる健康と活力』)である。

アメリカに住んでいる時に、ヨーガをやっている女性参禅者から「あなたは『坐禅は何かの瞑想テクニックを身につけるというのとはまったく違う営みだ』ということをよく言うけど、この本の著者も同じようなニュアンスのことを言っているから、参考になるかもしれないので読んでみたらどうですか」と勧められた本である

この本には幸い日本語訳があるので、その参禅者がわたしの言い分と似ていると感じたであろう一節を引用してみよう(ドナ・ファーリ著 佐藤素子訳 『自分の息をつかまえる自然呼吸法の実践』河出書房新社) 「本書を活用していただくために」というところには次のようなことが書いてある。

「本書に、普通の『こうすれば身につく』と教える本と同じように取り組むのは間違いです。

それではこれまでやってきた間違いの繰り返し。

やれがんばれだとか、我慢しろとか、もうひとふんばりだとか。だれもがいやというほど思い知っているように、こんなやりかたはうまくゆきません。

のびやかな呼吸とは、何かを獲得するとか、新しいテクニックを身につけるとか、うまくなろうと励むとかいうこととは無縁のものです。

本来の自然な呼吸をみつける過程には、妨げているものを探り出したり取り除いたりすることが関わってきます。

その意味で本書は解体のプロセスを示す本、学ぶのではなく忘れるためのガイドブックであり、『こうすれば身からはずせる』と教える本となるでしょう。」

実は英語の原書では、「『こうすれば身につく』と教える本」のところは‵‵how-to-do”book、「『こうすれば身からはずせる』と教える本」のところは‵‵how-to-undo”bookとなっている。

doは「(なにかの行為を積極的に)する、為す」、undoは「(行為の結果を)取り消す、(結んでいるものを)ほどく、緩める」という意 味であるから、それぞれ「『いかにするべきか』を教える本」「『いかに余計なことをやめるか』を教える本」と訳した方が著者の原意に忠実なのではないだろうか?また、引用文中の「忘れる」のところはunlearnという英語が使われている。learnは「学ぶ、身につける」、いう動詞の前に共通してついているun-という接頭辞の意味だ。

このun-という接頭辞はunable(~することができない)、unacceptable(受け入れられない)、unequal(不均等)というように否定を表して「不~」、「無~」という意味を形作る場合と、それとはまったく異なった「元の状態に戻す」という意味を形作る働きも持っているのだ。

今のundo、unlearnにおけるun-は否定の意味ではなく、「元の状態へ戻す」という意味の方であるから、undo、unlearnはそれぞれ「やらない」、「学ばない」という否定の意味ではなく、「やったことを元の状態へ戻す」、「学んだことを元に戻す」という意味に解さなければならない。

このunlearnという興味深い動詞について思い出すのは、鶴見俊輔さんが語った若い頃にアメリカでヘレン・ケラーに会ったときのエピソードである。

「戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。私が大学生であると知ると、『私は大学でたくさんのことを学んだが、そのあとたくさん、学びほぐさなければならなかった』といった。

学び(ラーン)、後に学びほぐす(アンラーン)。

『アンラーン』ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。

型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された

大学で学ぶ知識はむろん必要だ。

しかし 覚えただけでは役に立たない。

それを学びほぐしたものが血となり肉となる。

アンラーンの必要性はもっと考えられてよい。」

鶴見さんはunlearnに「学びほぐす」という実にうまい訳語をつけている。

それを借りればundoは「やりほぐす」ということになろうか。

それはともかくこのドナさんの呼吸の本は、最初から「わたしの呼吸の本は、今の状態に何か新しいものを付け足すためのハウツーの本じゃありませんよ。

むしろundo、unlearnというun-の方向を学ぶ本ですよ」と宣言しているのだ。

このun-という方向性こそ、わたしが坐禅についていちばん言いたかったことなので、わたしにこの本を勧めてくれた参禅者は、いつもわたしが坐禅に関して下手な英語でああだこうだ言っていることの奥にあるものを良くわかってくれていたのだろう。

彼女には「よくぞ、この本を勧めてくれた。こういう本を探していたんだよ。ほんとうにありがとう」と厚くお礼を伝えた。

『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋