(前回の講義)

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今回は「嘗(かつ)て観る、超凡越聖、坐脱立亡も、此の力に一任することを。」についてお話しします。

前回で、坐禅のやり方の説明が終わって、この文から終わりまでは伝統的には流通分(るつうぶん)と言われるところになります。

いろいろな角度から坐禅を流布弘通させるような文章になっているからです。

坐禅をすることによって培われた力がどのようなものとして現れるかということが説かれています。

「嘗て観る」というのは、過去に坐禅を修行し抜いた人たちの事例を見てみると、という意味です。

彼らは、超凡越聖とか坐脱(坐禅したまま死ぬ)や立亡(立ったまま息絶える)といった素晴らしいことを成し遂げているが、それは坐禅が身についたが故の結果であるということをここでは言っています。


よく仏教は転凡入聖(凡夫を転じて聖者の世界に入る)だと言われますが、これはまだ凡夫だの聖者だのといった区別にこだわっているので、禅の伝統ではこれを批判的にさらに乗り越えた凡夫も聖者も超えた超凡越聖の境位が説かれます。



超凡越聖、坐脱立亡といったことをこれまでに成し遂げた人たちは、いずれも筋金入りの坐禅人であり、坐禅で培われた力によって自ずとそういうことができたのだと、坐禅の素晴らしさの一端を披瀝している文章です。


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