永平寺から毎月発行されている時報『傘松(さんしょう)』の中にある一照さんの連載記事、『「只管打坐」雑考』に一口コメントをつけてお届けします。

----------------------------------------------------------

【「只管打坐」「問題の解決」ではなく「問題の理解」へ 1 】

「宿無し興道」というあだ名がつけられていた一代の傑僧、澤木興道老師にまつわるさまざまな逸話の中でも、特にわたしの心に強い印象をもって刻まれている次のようなエピソードがある。

丘宗潭(おかそうたん)(一八六〇一九二一)という曹洞宗を代表する老師がおられた。

眼蔵家として著名な西有穆山禅師(『正法眼蔵啓廸』)などに師事し、修禅寺住職などを歴任。

明治三二年に曹洞宗大学林(現、駒澤大学)学監・教授となり、明治三八年に永平寺で眼蔵会の初代講師を務めている。

大正六年には永平寺監院となり、同七年に曹洞宗大学学長となった。

大正一〇年にわたしが得度し修行した紫竹林安泰寺を京都北区玄琢の地に設立している。

澤木老師はこの丘老師にめぐりあって、熱心に仏法を学んでいた時期があった。

澤木老師によれば丘老師の「顔の造作はまことに魁夷(かいい)で、おそろしい顔だった。

ある人はよく鬼瓦と言っていた。眼鏡越しにジローッと睨まれないまでも、見られただけで、ゾッと寒気を催すほどすごかった」そうである。


あるとき、この丘老師のところに独参を求めてきた僧侶があった。

丘老師は一たん口をへの字に結んで、開き直られて腹の底から出てくるような声で「ウーム、なにか」と言った。

この時すでにこの僧は丘老師の迫力に呑まれてしまっていて、蚊の鳴くようなオロオロ声で、おずおずと訊ねた。

「一大事をお示し願います」すると丘老師はすかさず、「ウーム、だれの一大事か」とブッキラ棒に答えた。

「ヘェイ、私のでございます......」「ナニイ、貴様のか、貴様一人ぐらい、どうでもいいじゃないか、ウフフフ......」澤木老師は、この会話を丘老師の西侍として隣の部屋で聞いたそうである。

「その笑い方といったら、いまでもわしの耳に残っている。まるで悪魔が毒気を吹いたようでもあり、軍鶏(しゃも)がヒヨコを蹴散らしたようでもあった。わしは次の間で聞いていて、臍(へそ)のあたりがグウッと言った」と思い出を語られている。


わたしがこのエピソードのことを知ったのは、安泰寺に入山して酒井得元老師の著した『澤木興道聞き書き ある禅者の生涯』(講談社学術文庫)を読んでいた時だった。

わたしはこの一節を読んだとき、その現場に居合わせた独参に来た僧や澤木老師ほどではなかったが、丘老師の「貴様一人ぐらい、どうでもいいじゃないか」という鉄槌のような、一言にガツーンと脳天を叩かれたような衝撃を受けた覚えがある。

自分もやはり「わたし一人の一大事」のために修行していたからだ。

「仏道の修行はそんなせせこましいことのためにあるんじゃないぞ!」という一喝をくらった気がした。

それと同時に、なんだか自分が囚われから解放されて、すがすがしい気分になったから不思議であった。

それまでとは違う展望が開けてきて、自分一人ぐらいのことなどどうでもいいと思えるような、ひろびろとした地平が目の前に広がった感じがしたのである。

自分一人の一大事を、自分が期待しているような仕方で解決するというのではなく、そんなことぐらいどうでもいいと思える、予想もしていなかった大きな世界に出ることで、当初の問題そのものが雲散霧消するというのが、ほんとうの一大事でなければならなかったのだ。


だから、丘老師は無慈悲や不親切でそんなことを言ったのではなかった。

この僧に対して真正面から「ほんとうの一大事」というものを如実に示していたのである。

澤木老師は「その後、わしもいろいろと苦しい目、悲しい目に出会ったが、そのときいつも、あの『貴様一人ぐらい、どうでもいいじゃないか、ウフフフ......』のあの気味の悪い笑いが耳の底から聞こえていた」と述懐されている。

苦しい目、悲しい目に出会ったとき、丘老師の「ウフフフ......」に支えられ励まされたというのである。

苦しい目は苦しいこととして、悲しい目は悲しいこととして確かにそこにあったとしても、丘老師から教えられた「そんなことはどうでもいいという次元」を思い出すことで、それがそのまま「ありながらありつぶれる」という仕方で乗り越えられていったのだろう。

ちなみに、澤木老師の弟子である内山興正老師はそのことを「どっちにどう転んでも御いのち」と言っている。

自分がどちらかに転がらねば失敗だと思い込んで、なんとしてもそちら側へ転ぼうと頑張っている人と、どちらに転んでも御いのちと受け止めて、そこで自己の本分を精一杯に尽くすことに励んでいる人とでは、全く異なった風景がそこに立ち現れているだろう。


どうやら、仏教というのはわたしの抱える「諸問題」を解決してくれるというよりは、そういう諸問題を作り出している張本人の「わたし」そのものをこそ問題にしているらしい。

日本にいるとき、わたしは仏教に対してこういう理解をもつようになっていた。

しかしその後、師の命を受けてアメリカに渡ったわたしはそこで「自分の抱えている問題の解決に即役立つ仏教」に熱心に取り組んでいる多くの人たちと出会うことになった。

林の中のささやかな坐禅堂とはいえ、思いがけなく堂頭としてそこに赴任したわたしは、かれらから、具体的な言い方はさまざまであるが、詰まるところは「わたしはしかじかの問題を抱えています。それを解決するにはどうしたらいいのでしょう?仏教はどのような解決法を提示していますか?それをどのようにして実行すればいいのでしょうか?」という問いを浴びせられることになった。

日本の安泰寺にいる時は一介の修行僧にすぎなかったし、日本人でそのようなあからさまな質問をする人には出会ったことがなかったので、これには少なからず困惑せざるを得なかった。 




 『傘松』、『「只管打坐」雑考』より一部抜粋